『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

24番をつけてプレーしている東俊希

◆4年目とあって「24番が好きになっている」

 今回取り上げる背番号は24番。サンフレッチェの歴史を振り返ると、徐々に一つの流れができ、現在に至っている。

 固定背番号制が始まった1997年に24番をつけたのは、MF服部公太。当時プロ2年目だが、1998年からサンフレッチェを退団する2011年までつけた17番のイメージが強く、筆者も24番の記憶は残っていない。

 ただ連載第7回でも記したように、1997年は服部にとって大きな転機となった。高校時代はゲームメーカーで、プロ入り後はポジションが定まっていなかったが、この年に就任したエディー・トムソン監督に左サイドにコンバートされたのだ。これを機に出場機会を増やし、長年にわたってサンフレッチェの左サイドを支える存在となった。 

 1998年から3年間はDF石川裕司が24番だった。サンフレッチェ広島ユースから昇格して期待を集めていたが、3年間で公式戦の出場はなし。2001年に当時JFLの大塚製薬に移籍し、のちに徳島ヴォルティスとしてJ2参入を果たすクラブで長年にわたって活躍した。

 2001年からの3年間はDF西嶋弘之が背番号24を背負った。奈良育英高から加入したが、石川同様に3年間で公式戦には出場していない。だが、その後に移籍したコンサドーレ札幌(現北海道コンサドーレ札幌)などでは、J2通算300試合以上に出場する見事なキャリアを築いている。

 2004年の24番はFW木村龍朗。石川同様に広島ユース出身で、ここから24番はユース出身選手の番号となっていく。翌2005年から24番を背負ったのは、FW前田俊介だ。昇格1年目ながらJ1で26試合に出場、5得点を挙げた。広島では短期間の活躍にとどまったが、変幻自在のドリブル突破で見る者を魅了した。

 2008年に背番号24を受け継いだのは、ユースで前田と同期のDF森脇良太。1年目から活躍した前田とは対照的に、2006年から2年間は当時J2の愛媛FCに期限付き移籍して、復帰した年に24番を託された。武者修行の成果を発揮して定位置をつかみ、2012年のJ1初優勝にも貢献。底抜けに明るいキャラクターで、勝利後の『サンフレ劇場』でも中心人物の一人だった。

 2013年からの24番はMF野津田岳人。ユース所属の高校3年生だった2012年にJリーグデビューを果たし、プロ1年目に24番をつけた。背番号が17番に変わった2016年以降は期限付き移籍と復帰を繰り返していたが、2022年、ついに覚醒し、主力としてチームを引っ張っているのはファン・サポーターの皆さんもご承知だろう。

 期限付き移籍を経て復帰したという点は、2016年から24番をつけたMF長沼洋一も同じ。プロ2年目の2017年途中から期限付き移で3クラブを渡り歩き、2021年に復帰した。背番号を41番に変えて心機一転、活躍を期したが、2022年途中にサガン鳥栖に完全移籍。鳥栖では24番を託され、加入直後からレギュラーで活躍している。

 現在24番をつけているのはMF東俊希だ。ユース所属の高校3年生だった2018年の天皇杯で公式戦デビュー。9月にはプロ契約を締結し、同年にJリーグデビューも果たした。左足から繰り出す正確なキックに加え、複数のポジションでプレーできる万能性も大きな武器に活躍を続けている。

 背番号には「あまりこだわりがない」と言いつつ、2022年が4年目とあって「24番が好きになっている」そうだ。同年7月に左足を手術して全治3カ月と診断されており、リハビリを経ての完全復活が期待される。