『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

今シーズン、27番をつけてプレーした川村拓夢

◆涙を流した8月のJ1初得点

 27番はサッカーにおいて、固有のポジションを表す背番号ではない。ゆえにサンフレッチェの歴史を振り返っても、いろいろなポジションの選手が背負ってきた。

 最初はDFの番号だった。固定背番号制初年度の1997年は川島眞也、1998年は池端陽介。1999年に流れが変わり、FW池田学徳がつけている。

 ここまでは1年ごとに選手が変わったが、初めて複数年にわたって背番号27をつけたのがFW中山元気だ。2000年の加入後は負傷離脱が多かったものの、2002年にJリーグデビューを飾ると、サンフレッチェが初めてJ2に降格した2003年にJリーグ初得点。2004年限りで退団するまで、5シーズンにわたって27番で奮闘した。

 2005年にFWジョルジーニョ(サンフレッチェや名古屋グランパスなどで活躍したFWウェズレイの弟)が付けた後、2006年からはMF柏木陽介が27番となった。この年にサンフレッチェ広島ユースからトップチームに昇格し、若手を積極的に起用するペトロヴィッチ監督によってレギュラーに定着。2年間つけたのち、2008年からは背番号10を託された。

 その2008年、27番を受け継いだのがMF清水航平。東海大五高(福岡)から加入1年目、当時のポジションはFWで、この年にJ2でリーグ戦初出場・初得点を挙げた。その後は2011年まで定位置をつかめなかったものの、2012年の途中から左サイドのレギュラーに定着。J1リーグ24試合に出場し、J1初得点を含む4得点を挙げてJ1初制覇に貢献した。その後も27番でプレーした2015年までに計3回のリーグ優勝を果たし、クラブの歴史に名を残している。

 清水を機に27番はサイドアタッカーの背番号となり、2016年は韓国籍のMFキム・ボムヨン(シーズン途中に清水エスパルスに期限付き移籍)、2018年はMF馬渡和彰がつけた。2019年には、一度サンフレッチェを離れた清水が期限付き移籍で復帰し、27番をつけている。

 2020年は再び流れが変わり、FW鮎川峻がつけた。サンフレッチェ広島ユースからの昇格1年目だったが、2021年には23番に変更している。ブラジル国籍のMFハイネルがこの年に、27番をつけたいと鮎川に頼み込んだのだ。27番が故郷の街の番号(通訳スタッフいわく「日本の電話の市外局番のようなもの」)で、街を背負って戦うという決意が込められていたという。

 2022年、27番を背負っているのはMF川村拓夢だ。2018年にサンフレッチェ広島ユースから昇格し、2019年から3年間はJ2の愛媛FCに期限付き移籍して経験を積んだ。復帰1年目のシーズン当初は負傷離脱など苦しい時期を過ごしたが、夏以降は先発出場も増えて主力となり、8月の鹿島アントラーズ戦ではJ1初得点を決めている。

 広島市安佐南区出身で、両親と姉と一緒にホームゲームは毎試合、観戦に行っていたというサンフレッチェのファン。鹿島戦で初得点を決めた川村は試合後、涙を流していたが、両親も「泣いて喜んでいた」そうだ。10月16日の天皇杯決勝ではPK戦でキックを止められ、悔し涙を流したものの、22日のYBCルヴァンカップ決勝で勝利を収め、うれし涙を流している。ボランチでもサイドでも活躍する地元出身のレフティーには、今後もサンフレッチェをけん引する働きが期待される。