新井貴浩新監督のもと、新たなチーム人事が発表された。2015年に新井監督とともに広島に復帰し、チームを25年ぶりのリーグ優勝へと導いたOB・黒田博樹氏の球団アドバイザー就任である。
1996年にドラフト2位(逆指名)で入団した黒田氏は、2008年にドジャースへ移籍すると、2014年までMLBで活躍。2015年の広島復帰は、カープファンのみならずプロ野球ファンから大きな注目を集めた。
これまで広島アスリートマガジンでは、数々の黒田氏独占インタビューを掲載してきた。カープが25年ぶりの優勝を果たした2016年、プロ20年目の黒田氏がインタビューで語ったこととは? “満身創痍の状態を受け入れながら投げ続ける”。そんな葛藤が伝わってくる、現役最終年の独占インタビューを再編集してお届けする。
◆楽なマウンドはなかった
— 日米通算200勝という大記録を達成されましたが、時間が経った現在、この記録を実感されることはありますか?
黒田 現時点であまり実感はないですし、ゆっくり振り返る時間はありません。200勝という節目の勝ち星を手にしましたが、“また次の登板”ということで大変なので余裕がないですね(苦笑)ただ、たくさんお花をいただきましたし、そういう部分では少し実感できました。達成した次の日からは“次の登板に向けて”という気持ちだけでした。
— セレモニーでは新井貴浩選手の2000安打達成のときのように、ユニークなTシャツでチームメートが祝っていました。
黒田 Tシャツのことは全く知らなかったですし、僕の知らないところで話が進んでいたみたいですね。僕がインタビューを受けている最中にみんないなくなっていたので、ちょっと驚きました(笑)
— これまで数々の記録を達成されていますが、今回の日米通算200勝という節目の記録は、黒田投手にとってどんな位置づけの記録なのでしょうか?
黒田 それも含めてシーズンが終わってみなければ、なかなか頭に浮かばないですね。そのなかで「本当に200回も勝てたのかな」という気持ちと、「楽なマウンドは一度もなかった」というのが自分の正直な気持ちです。その苦しいマウンドをずっと積み重ねて200回も勝てたのだと思います。決して楽に勝てた試合は1試合もなかったと思うので、驚きの方が強いですね。
— 黒田投手自身はどのような気持ちで、シーズンに臨まれたのでしょうか?
黒田 僕自身は変わることはありません。ただ、マエケン(前田健太)がいなくるということは、“絶対的エースがいなくなった” いうことなので、そういう意味では逆にその危機感からチーム、投手陣が良い意味で一つになれたと思います。今まではチームとしてマエケンが残してきた実績に頼ってきた部分は多少なりともあったと思います。
— 黒田投手の投球について伺いたいのですが、今季のご自身の投球については、どのように自己評価されますか?
黒田 当然悔しい気持ちがいっぱいですし、歯痒い気持ちもいっぱいです。そんななか、自身の状態を受け入れないといけないという気持ちもあるなかで、日々葛藤しながら毎日過ごしています。
— 4月2日の巨人戦(マツダスタジアム)では日本復帰後初の完封勝利をマークされました。完封されたことに関してはどのような思いを持たれていますか?
黒田 『エース』と呼ばれた時代もありましたし、若い頃はいつも完封したいという気持ちでした。ですが、昨年日本に帰ってきて、以前よりも投手の分業制が進んでいると感じました。これはカープに限らず、完投する投手が減ってきているという現状に、寂しい部分がありますし、仕方ないという気持ちもあります。ただ、若い投手も先発をするなら、〝完投をするんだという強い気持ち〟だけは常に持っていてほしいです。そういう気持ちがあれば、練習に対する取り組み方など、いろんなことに対する気持ちが変わってくると思っています。
— 今季は一度だけ登録抹消というアクシデントがありました。その後の体調面はいかがですか?
黒田 「もう贅沢は言えないな」という気持ちですね。ある程度自分のなかで、いろんなことを受け入れてマウンドに上がらないといけないと感じていますが、どこかで悔しい気持ち、自分の思い通りにならないという思いがあります。それらを受け入れながら毎日進んでいかないといけないので、すごくもどかしさを感じています。
— チームは前半戦、首位を快走するなど好調な戦いぶりを見せました。どのような思いでこのチーム状況を見ていましたか?
黒田 今季は本当に投手陣は打線に助けられていて、打線に引っ張ってもらっていることで良い戦いができていると思います。ただ、これから大変な戦いが続いてくると思うので、勝負はここからだと思っています。