来季からカープの指揮をとることになった新井監督とって、駒澤大の先輩でもある野村謙二郎氏。プロ入り時の大きなきっかけにもなった“恩師”は、誰よりも長く、“新井貴浩”という人間を見守ってきた。
ここでは、新井監督との出会いから現役時代の思い出、さらに、その人間性について改めて語った独占インタビューをお送りする。
◆自宅で見たフルスイング。とにかく体が強い選手だった
─初めての出会いは、新井貴浩監督が駒澤大時代だったそうですね。
「彼が大学4年のときに、駒澤大野球部の太田誠監督から私に電話がありました。『広島出身の新井という選手がいて、良いものは持っているんだけど、ちょっとバッティングを見てほしい。ちょうど休みで実家の広島に帰っているから見てやってくれ』と連絡があったんです。初めて会ったのはその時で、新井が私の家に来ましたね」
─その時はどんな印象でしたか?
「私の自宅に来るなり『駒澤大学の新井です。監督から野村さんのところでバッティングのスイングを見てもらえと言われてきました』と言って、庭でバットを振って帰っていったんです。広島工高出身で駒澤大にいるということは知っていたんですけど、会うのは初めてでした。第一印象は『体が大っきいなぁ〜』と感じました。スイングを見てもそんなに悪くはないですし、バットスイングも速かったので、『なんで打てないのかな?』という話をしながら、自分なりにアドバイスを送った記憶があります」
─その後、新井監督は1999年にドラフト6位でカープに入団されたわけですが、当時はどんな選手だと見ておられましたか?
「まずは体が強いなということです。すごく練習をしていましたし、とにかくやることがたくさんあったと思います。守備にしても、スローイングにしても、打つことにしても。見ていて私も、そういう時期があったなと感じましたね。彼とは年齢が10歳離れているので、入団してから“僕もこんな感じだったな”と思いながら“歯を食いしばって頑張るしかないよ”という感じでした。正直見ていてかわいそうになるくらい練習していました。私もそのくらい練習をやっていたとはいえ、年数は経っていたのでキツイだろうなと思いながら見ていました」
─現役時代にプレーを見てきた中で、印象に残っているシーンなどはありますか?
「新井がレギュラーで出始めの頃、なかなか打てないときの姿が印象に残っていますね。私たちがグラウンドの傍を通って帰っていたら、照明も落ちた真っ暗なところで、ずっとフェンス側にステップしながらスイングしている新井を何度も見ましたが『悔しいんだろうな』と思いながら見ていました。本人が何を考えたかはわかりませんが『今に見ておけよ』という思いと、自分への歯痒さ、情けなさを感じながらバットを振っていたのでしょうね」
─2003年から新井監督は4番を任され、2年間スランプの時期がありました。当時野村さんからアドバイスされたことはあったのでしょうか?
「アドバイスはしていないですね。ただ、当時の監督の山本浩二さんが言っていたのは『今は打ててないけど、4番を任せる中でここを自分でクリアしないと上にはいけない』と聞いていたんです。僕は上位打線を打つ選手で4番を打ったことはありません。4番の“価値”は分かっていますが、4番の“苦しさ”は分かっていませんでした。だからこそ山本浩二さんはあえて使い続けたんだと思うんです。そういうことを聞いていたので、“頑張れ”としか思えなかったし、“どうなるんだろう”という心配はありましたね」
─その中で、野村さんの現役最終年となる2005年に、新井監督はホームラン王を獲得されました。
「入団した時から努力して、あの体の強さもありますし、“ここまで成長するんだな”と思いましたね。よく選手からも『あの新井さんが』と冗談っぽく言われていますよね。良い関係だと思うのですが、入団した時のことを思うと、ホームラン王を獲るということができたのも、一人でバットを振ったり、厳しい練習に耐えたり、いろんなことを言われて頭の中がぐしゃぐしゃになるような感じの中でも頑張ってきたから、“いけるんだな”と……。体も強いですが、メンタル面も強かったのだと思います」
◆広島アスリートマガジンオンラインショップ
https://hamagazine.theshop.jp/items/68989888
◆Amazon
https://amzn.to/3TDGzfp