『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

2021年から15番を背負いプレーした藤井智也

◆圧倒的なスピードを武器に1年目から活躍したスピードスター

 これまでの連載で紹介してきた背番号は、MF青山敏弘が2007年からつけている6番など、1人の選手が長く背負っている番号もあるが、頻繁に選手が変わっている番号もある。今回取り上げる15番は、そうした番号の一つだ。

  固定背番号制になった1997年はMF安部雄大、1998年はMF山根巌、1999年は藤本主税が背負った。藤本はアビスパ福岡からの加入1年目で、徳島県育ちであることから、得点後に『阿波踊り』のゴールパフォーマンスを見せることで人気を集めた。

 藤本が11番に変更した2000年には、FW上野優作が15番となった。藤本と同じく福岡からの移籍加入だったが、出場機会は少なく、1年で京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)に移籍。2008年限りで現役を引退した後は指導者となり、カタール・ワールドカップでは日本代表のコーチを務めている。

  2001年にはMF森﨑浩司がつけた。翌02年から現役を引退する2016年までつけた7番の印象が強いが、当時はプロ2年目で、1年目の22番からの変更だった。1997年からここまで、5年連続で選手が変わったことになる。

  初めて複数年にわたって15番をつけたのは、2002年と2003年のMF松下裕樹だ。2002年はサンフレッチェが初めてJ2に降格したシーズンとなったが、2003年はJ1昇格に貢献した。翌2004年に福岡に移籍し、MF高木和正が背番号15を受け継いだが、2005年はFW田村祐基、2006年はMF中里宏司と、再び1年おきに選手が変わる状況が続いた。

 2007年、ここから長きにわたって15番を背負う選手が現れる。MF髙萩洋次郎だ。広島ユース所属の高校2年生だった2003年にJリーグデビューを果たしたが、2005年はリーグ戦出場なしに終わり、当時J2だった愛媛FCへの期限付き移籍を経て、復帰した年から15番を背負った。

 この2007年にサンフレッチェは再びJ2に降格してしまうが、翌2008年にスタメンに定着すると、高い技術と創造性あふれるパスでJ1昇格に貢献。その後も不動の存在となり、2012年にはリーグ戦全試合に出場し、サンフレッチェのJ1初制覇に貢献した。

 髙萩が10番に変更した2013年は、サガン鳥栖への期限付き移籍から復帰したMF岡本知剛が15番を受け継いだが、2014年は再び鳥栖に期限付き移籍(シーズン途中に完全移籍に移行)したため、空き番号となった。2015年は京都から加入したMF工藤浩平がつけたものの、シーズン途中に松本山雅FCに完全移籍し、2016年まで再び空き番号となった。

 2017年、背番号15を背負ったのはMF稲垣祥。ヴァンフォーレ甲府からの期限付き移籍で、2018年には持ち味のボール奪取力を生かしてリーグ優勝を争ったチームの主軸となった。2019年を最後に名古屋グランパスに移籍し、2020年はDF櫛引一紀が受け継いだが、1年で退団となった。

 2021年はMF藤井智也が15番となった。立命館大在学中の2020年に加入が内定し、特別指定選手としてプレーした同年は50番をつけていたが、正式なプロ入りとともに15番に。主に右サイドでプレーし、圧倒的なスピードを武器に1年目からリーグ戦29試合に出場した。

 2年目の2022年も15番を背負い、シーズン序盤はレギュラーとして活躍していたが、中盤以降はメンバー外となることが増え、シーズン終了後の11月25日に鹿島アントラーズへの完全移籍が発表された。新天地でのプレーぶりとともに、来季の背番号15が誰になるのかも注目される。