2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着たチームメイトがピッチ上で見せた才能、意外な素顔などを連載『エースの証言』で振り返っていく。

現役時代の佐藤寿人(1列目・右)がストライカーとして信頼していた服部公太(1列目・右から2人目)。佐藤のスタイルに合わせて、ゴールにつながるアシストを量産した。

【服部公太・後編】驚かされた『鉄人』ぶり。ピッチ外では家族を大切に

前編から続く)公太さんとは試合中、よく目が合いました。目が合えば、僕がクロスを上げてほしい場所を公太さんが見てくれて、その場所に来たクロスに僕が合わせる。2人にしか見えていないものを共有して、決めた後に「見えていましたよね!」と公太さんに言うのが最高の瞬間でした。

 J2に降格した2008年は、そういうゴールが多かったです。開幕前のゼロックススーパーカップの鹿島戦では、僕がファーサイドに逃げたところに公太さんの正確なクロスが来て、ヘッドで合わせてファーサイドに流し込みました。J2第7節のC大阪戦で、公太さんがふわりと上げたクロスに走り込んでヘッドで決めたゴールも、僕が空けておいた中央のスペースを共有したものです。

 そのほかに公太さんを語る上で欠かせないのは、連続フルタイム出場記録などの『鉄人』ぶり。ひじを脱臼したとき、さすがに無理だろうと思っていたら、腕をテーピングで固定して試合に出場したのは驚きました。普段から特別なことをやっている感じはなく、当たり前のことを当たり前にやっていたのだと思いますが、とにかくケガが少ない。もちろんプレーの質も高いレベルで安定していたからこそ、誰が監督になっても信頼を勝ち取り、起用されていました。

 ピッチ外では、公太さんは家族をとても大切にされていました。時間とお金を、自分ではなく、家族や奥さんのために使う。広島アスリートマガジンのアンケートで「チームメートと結婚するなら誰?」という項目があり、僕はコマちゃん(駒野友一)と並んで公太さんを選んだくらいです(笑)。

 苦しい時期から長くサンフレッチェを支えてきた人ですから、2011年限りで退団してファジアーノ岡山に移籍したときは、プロの世界の厳しさを実感しました。2012年のJ1初優勝を公太さんと一緒に勝ち取り、喜び合いたかったです。僕だけでなく、カズ(森﨑和幸)や(森﨑)浩司、ファン・サポーターのみなさんも同じ思いだったでしょう。

 引退した後も連絡を取り合っていて、2カ月ほど前にも家族を交えて食事に行きました。公太さんは高校年代の複数のチームで監督やコーチを務めていて、僕は小学生や中学生を教えることが多いので、情報交換をしましたし、これからも、いろいろ教えてもらいたいです。現役時代のように僕がわがままを言うことは、もうないでしょうね(笑)。

 選手としてはプロフェッショナルの鑑であり、人としては良き夫、良き父親の姿をたくさん見せてくれた公太さんは、僕にとってお兄ちゃんのような存在です。これから先、どんな形になるのかは分かりませんが、多くのゴールを生み出した現役時代のように、いつか一緒にサンフレッチェの未来をつくっていければと思っています。

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◆服部公太(はっとり こうた)
1977年11月22日生、千葉県出身
ポジション・MF、サンフレッチェ広島/1996年〜2011年
加入当初は攻撃的MFだったが左サイドにコンバートされ、3年目から主力として活躍。2002年途中から2007年途中までJリーグ171試合連続フルタイム出場、2008年途中まで218試合連続出場の記録を残している。2012年にファジアーノ岡山に完全移籍し、同年限りで現役を引退した。

◆佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し2012年にはMVPと得点王を獲得。2020年限りで現役引退。通算のJ1得点数は歴代2位。引退後は指導者・解説者として活動中。