徹底的にしごかれ、時にはドン底を味わいながらも守り続けたカープの四番。新井貴浩は決して、大きな期待をされて入団した選手ではなかった。

 彼が現役を引退し、監督となった今も、こんなにもチームメイトやファンから愛され続ける理由を、過去の「広島アスリートマガジン」での独占インタビューをもとに紐解いてみよう。

2018年12月の本誌インタビューから

◆「僕はよく『家族一丸』という表現をするんです」(広島アスリートマガジン2019年1月号)

 新井貴浩がカープの監督に就任した2023年。自身初となる春季キャンプスタートのあいさつのときにも「みんなは家族だ」と、選手全員の前で話している。カープという大きな家のなかで、みんなで支え合い、笑い、涙して、進んでいく。家族だから嫌いな人なんていない、特別扱いもしない。

 「『自分さえよければいいよ』という選手は、(カープには)いないですよね。『自分も頑張るけど、お前も頑張れよ! 一緒に頑張るぞ!』という、気持ち、そういう心でつながっているだけに雰囲気もいいですよね」

 監督になり、チームにとってより大きな存在になった現在もこの考え方は変わらない。チーム全員を愛し、全員で戦っていく姿勢や考え方は、野球だけでなく私たちの生活や仕事の場でも、大きな力になってくれるはずだ。

9回裏、仲間と共にマウンドを見つめる。

◆「だから、幸せだと思ってやってきました」(広島アスリートマガジン2007年10月号)

 2007年シーズンが終わり、その年、選手会長としてチームを牽引してきた新井貴浩。プロ野球という熾烈な競争の場で、その重圧は想像以上のものだったろう。しかし、考え方を少し変えるだけで、プレッシャーを味方につけることができる。

 「選手会長とかチームリーダーとか、そういうふうに言ってもらえるのはチームで一人しかいませんからね。(冒頭のコメントに続く)」

 誰もが嫌がる仕事を押し付けられた、経験もないのにリーダーを任された。そんな場面は誰もが一度は体験したことがあるはず。それをどう捉えるか。新井のように考えることができたら、今よりももっとたくさんの幸せを見つけられるのかも。

◆「まずは自分が一生懸命プレーして、とにかく球に食らいついて」(広島アスリートマガジン2015年8月号)

さまざまな覚悟を持って8年ぶりに古巣に復帰したかつての四番。38歳という年齢を感じさせない練習量と野球に全力を注ぐ姿勢は、まさに『背中で牽引する男の姿』そのものだった。

鈴木誠也や西川龍馬など、後にプロ野球界の顔となる選手がまだ若手と呼ばれたころ、新井貴浩の常に前向きな姿は、チームに大きな影響を与えた。そしてそれが、2016年からのリーグ三連覇を呼び寄せた。

「……とにかく球に食らいついて、必死でプレーしようと思います」

どんなに歳をとっても、立場が変わっても自分ができることは常に全力で。その姿が目に入ること自体が周囲に影響を与え、雰囲気が少しずつ変化し、やがて信頼へと繋がる。「新井さん、新井さん」と、誰からも愛され続ける一番の要因、それはきっと「一生懸命、全力で」ということなのだろう。

 

広島アスリートマガジン2月号は、本誌初登場!秋山翔吾 2023年の覚悟』。さまざまな角度から秋山選手の“覚悟”に迫りました。2015年以来の登場となる、前田健太選手インタビューにもご注目ください!