それぞれの想いや信念を胸に、プロ野球の世界で戦い抜いたカープ戦士たち。

 現役生活を終え、これまでカープOBが歩んできた、野球人生の軌跡を辿っていく広島アスリートマガジンの人気連載。今回は、現在カープで二軍外野守備走塁コーチを務める廣瀬純コーチが2017年にお届けした物語を振り返っていく。

13年4月21日の巨人戦から26日の中日戦まで、15打席連続出塁の日本記録を達成した。

◆度重なるケガとの戦い

 2010年に印象的だったことは、やはり監督が野村謙二郎さんになったことです。野村さんは就任当初から「優勝するぞ」と語り、選手たちの意識改革を行っていきました。

 自分としては高校の先輩でもある野村さんを胴上げしたいという思いを持ち、このシーズンに臨みました。結果的に私はこの年にキャリアハイの成績を残すことができたわけですが、そのきっかけは人生初めてのサヨナラヒットを放った4月17日の対中日戦にあったと思います。

 野村さんがよく言っていたのは「レギュラー陣には1試合に3、4回結果を残すためのチャンスが巡ってくる。1試合の中で1本もヒットが打てなくても、最後は取り返せるよ」という事です。

 その日の私も、最終打席まで無安打。『もしかしたら代打を出されるかも』と思っていましたが、野村さんは私に挽回のチャンスを与えてくれたのでしょう。最後に殊勲打を放ったことで、先ほどの野村さんの言葉を改めて噛みしめていました。

 この年に135試合出場したことで体力面での辛さはありました。ですがそれ以上に1年間プロ野球選手として戦う喜びを感じましたし、レギュラーとして何年も活躍する選手たちのすごさを身を持って体感しました。

 シーズン終了後にはゴールデン・グラブ賞にも選んでいただきました。絶対にゴールデン・グラブ賞を取ってやると思いプロに入ってきましたし、打率.300と同時に達成できたことは、自分のような紆余曲折を経た選手でも最後まで諦めずに努力することで、結果を残せるということを証明できてすごくうれしかったです。

 2011年シーズンは、前年に残した実績が自信になる部分もありましたし、自分がチームの中心となって頑張っていこうと思っていました。

 実際この年の交流戦までは前年までの良い打撃感覚が続いていました。2年連続でレギュラーとして結果を残すために奮闘していた私でしたが、この年の5月20日の対オリックス戦で太ももの肉離れというアクシデントに見舞われ戦線を離脱してしまいます。

 しかもこの時の肉離れは相当ひどく復帰に3カ月間もかかってしまいました。このケガによって私は自らの手でレギュラーの座を手放してしまい、そこまで積みあげてきたものが全て崩れてしまったのです。

 復帰戦となった8月2日の対横浜戦でタイムリーを放ちましたが、以前のような打撃の感覚は戻りませんでした。

 ケガをする前は理想の3番としての働きができていたと思いましたが、この年のケガにより監督が求めているような打撃ができなくなったように感じていました。