◆日本記録と初めてのCS
2012年は出場試合数こそ前年から増加させる事ができましたが、故障に悩まされたシーズンでした。5月1日の対巨人戦で右手に死球を受けてしまったのです。
球が当たった時に鈍い音がして、自分で骨折したことが分かりました。非常に強い痛みで翌日の試合では満足なスイングもできませんでしたが、私は痛みを隠し、試合に出続けていました。
もちろんそれは2011年に良いところでケガをしてしまい悔しい思いをした事も関係していますが、何よりチームのために頑張りたいと思い、自分だけ簡単に二軍に落ちて休むわけにいかないと考えていたからです。
ただ実際痛みが消えたわけではありませんでしたし右手をかばってしまうスイングは万全の打撃とは程遠い状態でした。
2011、2012年はケガに悩まされた2年間だっただけに、2013年が始まる段階で自分自身このままではいけないと思っていましたし、今年こそはもっと存在感を出したいと思っていました。
そして2013年の春先に、私は幸運にも15打席連続出塁という日本記録を達成することになります。
今となってみれば、そこまで特出した成績を残したわけでもない自分が、こうした記録を残せた事についてうれしく思いますし、最後まで諦めずに這い上がってくることができて良かったです。またこの記録について4番という打順で達成できたという事に充実感がありました。
そしてこの年は、チームとして16年ぶりにAクラス入りを達成した年でもあります。
2016年にチームは悲願のリーグ優勝を達成しましたが、優勝の原動力となった主力選手たちが一軍で台頭してきたのが2011~2013年でした。特に2013年はチームの変化というものを肌で感じ、自分自身でも日本記録を達成しただけに非常に印象深い年です。
チームが少しずつ変化してきたことで私はチーム内での立ち位置を改めて考えるようになりました。前田智徳さんが引退したことで年齢的に外野手としては最年長になる場面もあり、それまで以上にチームメートに対する声がけや励ましを行うようになりました。
またこの年の印象的な事は、Aクラス入りを果たした際のメディアやファンの盛り上がりです。
クライマックス・シリーズ進出が決まった際に広島のテレビ放送局各局が生放送で特番を組んでいただいた事に驚きを感じましたし、クライマックス・シリーズの甲子園で赤く染まったレフトスタンドを見て『広島の人たちは、カープの強さに飢えていたんだな』と思わされました。
それまで本当はカープを全力で応援したかったのだけれど、チームが弱かったから球場に来ても面白くなかったのだと思います。
当時は今ほどマツダスタジアムにお客さんが入っていませんでしたが、強いカープをファンのみなさんに見せる事ができれば、これだけ多くのファンの方々が集まってくれるのだと実感させられた印象深い出来事でした。
【4回目に続く】
廣瀬 純/ひろせ じゅん
1979年3月29日生、大分県出身。2000年に法政大から逆指名ドラフト2位で、カープに入団。ルーキーイヤーから80試合に出場するなど、強打の外野手として活躍。その後低迷した時期を過ごしたが、2010年には強肩強打を武器に135試合に出場して、打率.300、ゴールデン・グラブ賞を受賞するなど低迷期のカープを支え2016年に現役を引退。現在はカープの二軍外野守備・走塁コーチとしてカープを支える。