現役引退を決めたカープ選手のこれまでの軌跡を振り返りながら、その野球人生に迫る広島アスリートマガジン人気企画『プロジェクトC』。

 今回は、15年間の現役生活を終え、2022年限りでユニホームを脱ぐ決断を下したカープ・安部友裕が登場。“覇気”を代名詞に、25年ぶりのリーグ優勝、球団史上初の3連覇に大きく貢献した男のドラフト指名、そしてプロ1年目の挫折を振り返る。

2022年をもって現役を引退した安部友裕。代名詞の『覇気』はファンの間でも親しまれた。

憧れのプロ野球の世界に入るも、一軍昇格までは苦しさを感じた。

 今回は、ドラフト指名された当時の話から振り返っていきたいと思います。僕は2007年に高校生ドラフト1巡目で指名を受けカープに入団しましたが、高校生と大学生・社会人のドラフト枠が分かれていた最後の年でした。

 ドラフト当日は、会見場で待機しているという状況ではなく、指名された瞬間は普段通りに学校で掃除をしていました。担任の先生でもあった野球部の副部長から指名の知らせを受けたのですが、聞いた瞬間はもちろん素直にうれしかったですし、まさかという気持ちもありました。クラスメートや野球部のみんなは、盛り上がってくれていてその反応もうれしかったですね。

 僕の担当スカウトは田村恵さんで、指名後、高校に来ていただいたのですが、お会いした時は、「あ〜本当にプロに行くんだ」という思いが湧いた記憶があります。ただ、当時はプロ野球選手になりたいという思いもあるなかで、不安や葛藤も同時に感じていたと記憶しています。

 入団発表会見は2007年12月10日に行われました。その他の指名選手とはそこで初めてお会いしたのですが、当時の印象はみんな「でけぇーな……」という感じでしたね(笑)。あとは僕も青山学院大に進学したいと思っていた時期があったので、当時青学から入団された小窪哲也さんを見て、「小窪さんおるわ!」という気持ちもありました。同じ高校生ドラフトで指名された丸佳浩(現・巨人)ももちろん知っていたので、あいさつを交わしました。

 会見では報道陣の方がたくさんいて、緊張のあまり記憶が残っていないのが正直なところですが、「背番号60の通り、60盗塁を目指して頑張ります!」とコメントしたことだけは今でもはっきりと覚えています。

 僕が入団した2008年当時、カープは縦縞のユニホームの時代で、旧広島市民球場もラストイヤーの年でした。旧市民球場に初めて入った時は、大変歴史を感じる場所でしたし、圧倒された記憶があります。また、狭いというのはファンのみなさまも知るところではあると思いますが、『ここでプロ野球が行われるんだ……』と感じたのも正直な感想です(苦笑)

 その後は大野寮に入寮することになります。高校時代も寮生活でしたが、4人部屋だったので、初めての1人部屋がうれしかったですし、寮のご飯がとても美味しかったのが忘れられないですね。

中編に続く

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