チーム創設から70年を超える歴史の中で、18名の監督がカープを率いてきた。選手不足、資金不足、人気低迷、成績不振……さまざまな困難を跳ね除け、紡がれてきたカープの歴史は、監督たちの歴史と言っても間違いではない。ここでは、一際輝く名監督たちにご登場願おう。

1975年〜1985年でカープを率いた、古葉竹識監督(イラスト・オギリマサホ)

◆今や伝説の名将 古葉竹識

 連続在任11シーズンという長い期間、カープの監督を務めた。1975年シーズンを15試合で退陣したルーツ監督の後を任され、その年に、チームを初のリーグ優勝へと導く。そこから監督在任期間に、リーグ優勝4回、うち日本一は3回( Aクラス入りは9回)という輝かしい成績を残している。まさにカープの黄金期を生み出した偉大な人物なのだ。

 山本浩二、衣笠祥雄がチームの中心選手として機能している中で、髙橋慶彦、山崎隆造や正田耕三といった名スイッチヒッターも育て上げ、チーム力をさらに飛躍させて強いカープをつくり上げていった。

 ベンチの奥から戦況を見守る姿をテレビ番組が面白おかしく取り上げ、カメラの撮影位置から、まるでいつも半身だけ出して指揮しているようなイメージが全国に広まった。人の良さそうな印象があるが、非常に腹が座り強い信念と情熱を持ち合わせた名将だ。

◆投手力を全面に押し出す 阿南準郎

 古葉竹識から引き継ぐ形でカープを託された阿南準郎は、3年の在任期間でチームを全てAクラスに導いた。うち1度のリーグ優勝という成績を残し、強いカープを維持し続けた。

 晩年を迎えた山本浩二、衣笠祥雄などに衰えが見えはじめたチーム事情の中で、『投手王国』と呼ばれた強力な先発陣を中心に、リーグを勝ち上がっていったのだ。

◆日本代表監督も務めたMr.赤ヘル 山本浩二

 現役時代はミスター赤ヘルの名の下に、数々のタイトルを獲得し偉業を達成してきた山本浩二。カープの監督としては二期務めており、一期目の3年目となる1991年にはリーグ優勝を果たした。

 二期目はチーム力の低下もあり、Bクラスから浮上させることができず悔しいシーズンを送ることになった。2013年には第3回WBC日本代表監督を務め、チームをベスト4に導いている。

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