カープを支え続けるスペシャリストは、絶体絶命のピンチを救い、チャンスを確実に物にする歴戦の猛者たちばかり。その道を突き詰めてきた選手たちを、守備のスペシャリストと奪三振のイメージが強い投手を中心に振り返ってみよう。

豪快なダイビングキャッチでファンを湧かせた天谷宗一郎。

【守備のスペシャリストたち】

山本浩二
「ミスター赤ヘル」がNPB史上4位の536本塁打を放った強打者であったことは誰もが知るところ。実は10年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞するほどの外野守備の名手。派手なプレーは多くはなかったが、広い守備範囲と強肩とで堅実な守備から投手を盛り立てた。【1946年生まれ、広島県出身。通算成績:2284試合出場、536本塁打、盗塁231、打率.290】

高 信二
1990年代、主に守備固めとしてチームにとって貴重な存在だった高。試合終盤になると、サードや二遊間などで起用され、堅実なプレーで勝利を手繰り寄せる役割を担った。派手さはないが、渋い働きをする玄人好みの選手として、その時代のカープを支え続けた選手である。【1967年生まれ、福岡県出身。668試合出場、3本塁打、盗塁8、打率.235】

天谷宗一郎
攻守に渡り活躍した外野手。堅実な守備というよりも、快足を飛ばしギリギリの飛球に対して豪快なダイビングキャッチで捕球する魅せる守備に、ファンは目の色を輝かせた。自身は「投げるのが苦手だったから、フライで捕りたかっただけ」と言うが、多くのピンチを救ってきた高い守備能力は、誰もが名手として認めるだろう。【1983年生まれ、福井県出身。844試合出場、27本塁打、盗塁81、打率.255】

独特のフォームで直球勝負を挑む池谷公二郎のファンから人気が高かった。

【奪三振のスペシャリストたち】

◆外木場義郎
初優勝時のエースで、プロ初勝利をノーヒットノーランで飾り、通算3度のノーヒットノーラン(うち完全試合1回)を達成したミスターパーフェクト。球速があり鋭く曲がる、現代でいうパワーカーブを駆使した力強い投球で勝負し、三振の山を築いていった。【1945年生、鹿児島県出身。445試合登板、131勝138敗、3セーブ、奪三振1678、防御率2.88】

◆池谷公二郎
「シーソー投法」「ぎっこんばったん投法」などと呼ばれた豪快フォームから繰り出すストレートを武器に、1970年代から80年代に活躍。1976、1977年には2年連続で奪三振王のタイトルを手にしている。一方で、狭い旧広島市民球場でのストレート勝負は本塁打を浴びることも多く、1977年には年間で48本もの被本塁打を浴びた。【1952年生まれ、静岡県出身。325試合出場、103勝84敗、10セーブ、奪三振1056、防御4.13】

川口和久
力強いストレートに加え、カープやスライダーを織り混ぜながら、次々と三振に打ちとっていく川口の姿に酔いしれたファンも多いだろう。甘いマスクで女性からの人気もあり、都会的な雰囲気を持ち合わせていた。投手としては珍しいスイッチヒッターでもあった。【1959年生、鳥取県出身。435試合登板、139勝135敗、4セーブ、奪三振2092、防御3.38】