球団創立時からカープと共に歩んできた応援歌。ここではリーグ初優勝を果たした1975年に製作された『それ行けカープ〜若き鯉たち〜』にまつわるエピソードを中心に、代表的な応援歌をゆる〜く紹介します。

試合前だけではなくカープのラッキー7にも、場内で『それ行けカープ』が流される。

<それ行けカープ〜若き鯉たち〜> 
「カープ カープ カープ広島 広島カープ〜」というフレーズでおなじみの『それ行けカープ』。この歌が誕生したのは1975年8月1日のことである。

 ジョー・ルーツ監督の提案で帽子の色を従来の紺から赤に変えたこの年、カープは前年までの3年連続最下位から一気に優勝争いの主役へと躍り出た。

 夏にはペットマークのカープ坊やも誕生し、チームの勢いと合わせるようにカープ坊やグッズも大ヒット。『それ行けカープ』の“レコード”も中国地区で30万枚以上、全国では100万枚以上の売り上げを達成し、ミリオンセラーとなった。広島での売れ行きは同年冬に発売された『およげ! たいやきくん』を凌ぐ勢いだったとも言われている。

<歌い手>
『それ行けカープ』を歌うのはNHKの若者向け歌謡番組『ステージ101』で人気を集めた塩見大治郎さん。中国放送でラジオ番組も担当し、広島にも馴染みがあったことから、白羽の矢が立った。

<燃える赤ヘル僕らのカープ>
『それ行けカープ』と並ぶ名曲として知られるのが『燃える赤ヘル僕らのカープ』。『それ行けカープ』発売の3年後、1978年に発売された。歌っているのは広島市出身の事崎正司さん。現在は加納ひろしという名前で演歌歌手として活躍している。この歌は主に相手チームの投手交代時に使用されている。

<宮島さん>
童謡「花咲かじいさん」のメロディーに乗せ、カープが得点をしたときに球場一体となって歌われる。元々は、高校野球の名門である広陵高や広島商高の応援の中で、替え歌として使われていたもので、一説によると1990年代あたりからカープの応援でも使われ始めたと言われている。

<番外編>
カープには他にもたくさんの応援歌が存在している。
有名なのは漫画家・富永一朗さんが歌う『ゴーゴーカープ』。作詞は『それ行けカープ』の作者、有馬美恵子さんが担当している。
また当時、広島で一番人気のあったアナウンサーで元参議院議員の柏村武昭さんは『痛快! 赤ヘル音頭』を発売。「広島カープはモエモエムラムラ」という謎の歌詞を懐かしく思う往年のカープファンも多いだろう。