俊足・巧打の外野手として、カープを長年にわたって支え続けた天谷宗一郎氏。広い守備範囲の中で繰り出された数々の奇跡的なプレーは、チームを救いファンを大いに沸かせた、まさに外野手のスペシャリストの一人だ。そんな名手が現役時代にその目で見た、多くのスペシャリストについて語ってもらった。
◆代打に向かう気持ち 代走・守備固めの怖さ
—天谷さんがレギュラーで出ていた頃から立場が変わり、代走や代打として試合途中から出場するときの準備は、どんなことをされていたのですか?
「僕の出番は、試合の状況で変わるよと言われていましたので、走攻守で準備をしなければいけない存在でなければならないと考えていました。『この先頭バッターが出たら代走、出なければ代打、もしくは守備からいくよ。3つ用意しておいてくれ』と言われていました。それはすごくありがたかったですね。
まずは一番整え難い代打での心の準備からしていました。『野球は失敗のスポーツだ』と言われていて、代打での失敗は仕方ないにしても、守備や走塁は失敗が許されないのです。ましてやスペシャリストと呼ばれる選手は、それが出来て当たり前ですよね。特に守備は試合終盤に出番が来るわけですから、一つのミスで試合に負けてしまう、先発や中継ぎ、みんなで積み上げてきたものを無にしてしまうということを経験してから、すごくその怖さを知りました」
—天谷さんのイメージは、守備の中でも、ダイビングキャッチのスペシャリストでもあると思います。
「僕は肩が弱かったので、投げることがすごく苦手でした。ならばノーバウンドでキャッチしてやろうという考えで、ダイビングキャッチにトライしていました。打たれた! という当たりを捕ってくれたら、投手も気持ちが上がりますよね。
そういったギリギリの打球に対応するために、僕のグローブは球際に強い、球をこぼさないようなグローブで、外野手としては少し小さな物をつくってもらっていました。
ただやはり、内野経験のある選手が外野の守備につくと、その守備センスが羨ましかったです。たとえば上本選手(崇司)が外野に入ると、ゴロを取ってから投げるまでの早さや投げた後の正確性が僕たちとは全く違うのです。これは僕だけでなく、きっと赤松さんも感じていたと思います。
生粋の外野手はフライボールに対しての感性、落下地点に入るまでの早さなどは抜群に高いですが、いざ投げるとなったら内野経験者には敵わないものがありました。丸選手(佳浩・巨人)や遊撃手上がりの鈴木誠也選手も、投げるのは上手でした」
⚫️天谷宗一郎(あまや そういちろう)
1983年11月8日生、福井県出身。福井商高-広島(2001年ドラフト9巡目)。俊足強肩巧打の外野手として、現役時代は主にセンターを任されていた。走力だけでなく、打球の読みと素早い反応で広い守備範囲を誇った。またギリギリの飛球をダイビングキャッチするのは、天谷の代名詞といえるプレーだった。2018年に現役を引退し、現在はRCC中国放送の野球解説者として、カープの試合を見守り続けている。