野球選手のコラムを書く時、基本的には選手名には敬称をつけない。しかし、その人を何と呼べばいいのだろうと考えた時、北別府、と呼び捨てにするのも違うし、北別府さん、では少し面映ゆい。そんなわけで、北別府投手という呼び方を使おうと思う。

 

 野球選手のコラムを書く時、基本的には選手名には敬称をつけない。しかし、その人を何と呼べばいいのだろうと考えた時、北別府、と呼び捨てにするのも違うし、北別府さん、では少し面映ゆい。そんなわけで、北別府投手という呼び方を使おうと思う。

 北別府学という投手が語られる時、必ずと言っていいほど「精密機械と呼ばれるコントロールの良さ」という表現が登場する。しかし、私自身はそういう印象をあまり持っていない。

 というのも、東京で生まれ育った私がカープファンになった1990年代の初め、テレビの野球中継でカープの試合を見ることができるのが巨人戦だけだったという事情がある。中継を見たところで、野球の技術的な知識のない中学生には、与四球の少なさくらいはわかるにしても、コントロールの「精密さ」までは理解できなかったのだ。

 では私がその時、北別府投手に抱いていた印象とはどういったものか。そもそも、中一まで巨人ファンであった私が中二でカープファンに転向したのも、「投手王国」

とも呼ばれる層の厚い投手陣に惹かれてのことであったし、その中でもとりわけベテランの北別府投手は頼もしい存在であった。「1対0で勝てる投手」、それが私の北別府投手に対するイメージである。