2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。

 共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を、広島アスリートマガジンの連載『エースの証言』で振り返っていく。

サンフレッチェ時代の森脇良太(写真中央)

◆3バックでの起用が転機に。処理しやすい縦パスが武器

 (森脇)良太と初めて会ったのは2005年、僕がサンフレッチェに移籍してきたシーズンです。良太はユースから昇格したばかりのルーキーで、前の年にナビスコカップ(現ルヴァンカップ)で公式戦デビューを果たしていましたが、選手としての第一印象は決して良いものではありませんでした。

 当時は右サイドバックで、比較対象がレギュラーのコマ(駒野友一)ですから、物足りなく見える部分がありました。下手ではない、弱くもないけれど、うまいか・強いかと言われると、そうでもない……と僕は感じていました。一緒に昇格した(前田)俊介、(髙萩)洋次郎、(髙柳)一誠などと比べると武器が明確ではない印象も持っていました。

 結局1年目はナビスコカップ1試合に出場しただけで、2006年から2年間、当時J2の愛媛FCに期限付き移籍します。2007年、サンフレッチェは天皇杯で決勝まで勝ち上がったのでシーズンが長く、良太は復帰に備えて年末に広島の練習に参加していましたが、その時点で良いプレーを見せていました。

 愛媛で経験を積んだことが成長につながったはずですが、それ以上に大きかったのは、良太の移籍中にサンフレッチェの監督が、小野剛さんからミシャ(ペトロヴィッチ監督)に代わっていたことだと思います。布陣が4バックから3バックになり、ミシャに3バックの右で起用されたことが良太の転機になりました。

 練習で右のウイングバックに入ることもありましたが、最初から外にいると、プレーが窮屈そうなんです。でも3バックからだと、良い形で攻撃に絡んでいける。まさに適任で、良太の持ち味が最も生きる場所と、チームのタイミングがうまくリンクしたと思います。

 良太の持ち味は、守備から攻撃に移るときの縦パスです。自分が上がっていくよりも、奪ったボールを良い形でつなぐことがうまく、一つ前のボランチだけでなく、さらに前のシャドーや、トップの僕にも縦パスを入れてくる。それも処理しやすい球種のパスが来るので、これが一番の武器だと分かりました。サイドからのクロスは正直、うまいと思ったことはありませんが(笑)、縦パスのうまさはJリーグ全体でもトップクラス。もともとサイドバックなので、顔を上げて前を意識することで、後ろにいても前線がしっかり見えていたからでしょう。

 プライベートでは仲が良いマキ(槙野智章)と一緒に、よくゴルフに誘われました。僕は最初、オフの日に体を動かすのは……と思っていましたが、サッカーにつながる関係性を構築することも大切なので、その後にチュンソン(李忠成)や洋次郎も加わって一緒に楽しんだものです。良太はゴルフがうまくて、ショットの飛距離もすごいんですよ!

広島アスリートマガジン8月号は、「追悼特別特集 北別府 学 ありがとう 20世紀最後の200勝投手」カープが誇る大エース北別府学氏が残した偉業の数々を振り返りながら、強いカープを共につくりあげた仲間たちが語るその姿をお届けします。