Jリーグ創設以来30年間、ホームスタジアムとしてサンフレッチェを見守り続けてきたエディオンスタジアム広島。ビッグアーチと呼ばれた時代から、ここでは多くの記録と記憶が誕生した。ラストイヤーを迎えたエディオンスタジアム。そこに刻まれた紫の足跡を、関係者たちの言葉で振り返っていく。

 連載第1回は、 森﨑浩司アンバサダーが登場。広島一筋で17年プレーし、現在もアンバサダーとして活躍する森﨑氏が、デビューから引退までを過ごしたエディオンスタジアム広島との日々を振り返る。

2016年10月、エディオンスタジアム広島で行われた現役最後の試合では、有終の美を飾るゴールを決めた。

歓喜の瞬間も、悔しい思い出も、すべてがエディスタと共にあった

ーエディオンスタジアム広島には、サンフレッチェの初優勝であったり、森﨑浩司さんご自身の引退試合であったりと、いろいろな思い出があると思います。

「そうですね。一番最初に思い浮かぶのは、2012年の初優勝と、2016年の現役最後の試合です。それから、これも苦い思い出にはなりますが、J2に降格した京都戦(2007年12月8日、▲0ー0)も忘れられない試合です。初優勝の歓喜と、降格の悔しさと、最後の試合(2016年10月20日、アビスパ福岡戦)は脳裏に焼き付いていますね。引退試合には、知人や友人、それまで一緒にサッカーをやってきた仲間たちがたくさん見にきてくれました。エディスタに2万人以上のサポーターが駆けつけてくれた光景は、いまも記憶に残っています」

ー2012年の初優勝は、エディスタで決めることができました。

「クラブの規模を考えると、サンフレッチェで優勝をすることは、夢のまた夢のように感じていたこともありました。僕たちが入団した当初は、どちらかというと少し低迷していた時期でもありましたし、なかなか優勝争いにも絡めないチームでした。そこから、良い選手が加入してきてくれたり、若い選手が成長してくれて、森保監督がしっかりチームをマネジメントされていた成果だと思います。僕たち以上に、昔から応援してくださっていたサポーターのみなさんには苦労されたこともあったと思いますし、優勝を決めて観客席を見上げた時には、『僕たち以上に喜んでくれている人たちがそこにいるんだ』と感じて、すごくうれしかったですね。苦しいこともたくさんありましたが、それがすべて帳消しになるくらいの喜びがありました。続けてきて良かったなと思いましたね。J2には二度降格しましたし、正直、移籍のことが頭をよぎって気持ちがぐらつくことも多少ありましたが、広島の人間として、サンフレッチェでプレーを続けてきたからこそ歓喜の瞬間を迎えられたことは、自分たちの誇りにできるのではないかと思います」

ー17年の現役生活のなかで、さまざまなスタジアム、競技場でプレーされてきましたが、エディスタならではの良さはどこにあると思われますか?

「サンフレッチェでプレーしていた自分にとっては、ホームスタジアムとして、すごく後押しをしてもらったスタジアムです。他のスタジアムにはない後押しを受けてきたなという思いがありますね。やはりホームではサポーターの力を感じましたし、共に戦ってきたという印象のあるスタジアムです。ホームでは負けられないという気持ちにもなりますし、両親や知人、友人もたくさん見にきてくれました。そうした声援が、すごく力になっていました」