時代を彩ったカープ選手の足跡を背番号と共に振り返る企画。好投手を象徴する背番号「11」を取り上げる。(2021年の掲載記事を再編集)
◆黒田不在の穴を埋めた最強助っ人
プロ野球界全体で見ても“好投手”のイメージが強い背番号『11』。他球団では永久欠番となっているところもあるが、カープの歴史を見ても印象に残る投手が多いのは確かだ。
この番号で初めて10年以上プレーしたのは、1974年から1985年にかけての池谷公二郞だ。ドラフト1位入団で木原義隆から『11』を受け継ぎ、“シーソー投法”と呼ばれた左腕を高く上げる独特の投球フォームで名を馳せた。
ルーキーイヤーから一軍登板を果たし、翌1975年には18勝でチームの初優勝に貢献。3年目の1976年には20勝で最多勝を獲得、沢村賞も受賞した。一方で1977年には被本塁打48を喫しており、これは日本プロ野球史上最高の数字となっている。
1989年から2000年まで背負ったのは紀藤真琴だ。1983年にドラフト3位で入団し、1987年に一軍初登板。1989年に『11』を背負うと1994年にはキャリアハイの16勝と勝率.762をマーク。この勝率はセ・リーグ1位でもあった。
在籍期間は短くても、強い印象を残した投手もいる。背番号『11』の歴代選手たちの中では、“カープ史上最強助っ人”との呼び声も高いコルビー・ルイスが好例だろう。黒田博樹がメジャー移籍した2007年オフに加入し、2008年シーズンは開幕から先発ローテーション入り。チームトップの15勝、リーグ2位の防御率.268を記録したのみならず最多奪三振(183)を獲得、黒田不在の穴を埋めるに十分な活躍を見せた。
2年目の2009年は助っ人投手として球団史上2人目となる開幕投手を務め、2年連続で最多奪三振(186)のタイトルも獲得。メジャー復帰のため2年のみの在籍だったが、「黒田投手と比べられるのはとても光栄。みなさんに黒田投手と同じくらい、または、それ以上の投球をしていると言っていただけるのであれば、これ以上ない光栄なことだと思います」と話すなど人格的にも優れ、ファンの間では今も記憶に残る存在だ。