Jリーグ創設以来30年間、ホームスタジアムとしてサンフレッチェを見守り続けてきたエディオンスタジアム広島。ビッグアーチと呼ばれた時代から、ここでは多くの記録と記憶が誕生した。ラストイヤーを迎えたエディオンスタジアム。そこに刻まれた紫の足跡を、関係者たちの言葉で振り返っていく。

 連載第2回は、 スタジアムDJ・貢藤十六さんが登場。 でスタジアム数々のゴールをアナウンスしてきた貢藤さんが、DJの仕事の裏側、そして、エディオンスタジアム広島で過ごした13年間を振り返る。

2012年、リーグ初優勝を決めシャーレを掲げるサンフレイレブン。

大切にしているのは『真実を伝えること』。第2次、第3次の盛り上げ役になりたい

ーエディオンスタジアムならではの、音響面での特徴はあるのでしょうか。

「スタジアムDJに就任した最初の頃は、自分の声がスタンドに吸い込まれていくような感じがして、少し怖かったですね。スタンドにどれだけお客さんが入っているかによって声の跳ね返り方も違いますし、そのイメージを体に染み込ませるまでは、慎重にアナウンスをしていました。ですから、スタジアムDJに就任した当初のアナウンスは、もしかすると暗い感じに聞こえていたかもしれません(笑)」

ーそのエディスタで無数にゴールをコールされてきたと思いますが、一番気持ちよかったのは、どの試合のゴールですか?

「僕は試合の時間帯によって、ゴールの持つ熱量は違うのではないかと思っているんです。例えば直近であれば、8月13日の浦和戦(○2—1)や19日の川崎F戦(○3—2)は、アディショナルタイムに勝利を決めるゴールが生まれました。そういう時間帯にゴールが決まると、ファン・サポーターのみなさんのボルテージもすごいんです。試合終盤に勝利を決定づけるゴールが決まったときは、やはりいつも以上に気持ちも入りますね。これはプロ野球など他のスポーツも同じだと思いますが、この10年を振り返ると、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)の導入などもあり、スタジアムDJに求められる役割には変化してきている面もあります。僕が大切にしているのは、まずは『真実を伝えること』。一方で、場内の雰囲気もありますから、あまり確認に時間をかけすぎるのも良くないのではないかとも感じています。難しい面もありますが、真実を伝えつつ、みなさんが盛り上がっている瞬間をさらに盛り上げる。そんな第二次、第三次の盛り上げ役になれたら良いですね」

ー貢藤さんにとってエディオンスタジアム広島は、どのような存在でしょうか。

「一言で言うなら、『自分を育ててくれた場所』だと思っています。この仕事をさせていただいて約20年経ちますが、キャリアのほとんどを広島で積ませていただきました。そのなかでも、スポーツに携わるアナウンス業を13年もさせていただいているというのは、僕にとっては本当にうれしいことです。エディオンスタジアムは、僕を育ててくれた場所。それ以外にないと思っています」

《プロフィール》
貢藤十六 くどう・とうろく
1974年7月16日生、大阪府出身
2003年からDJのキャリアをスタート。2011年にサンフレッチェ広島のスタジアムDJに就任し、2012年の初優勝、2015年の優勝を見守った。広島FMで 『サンフレッチェ・ラジオ・サポーターズクラブ 貢藤十六のGOA〜L』のパーソナリティを務めるほか、MC・ナレーターとしても活躍している。

広島アスリートマガジン10月号は、「新井カープの結束力」シーズン終盤に差し掛かり、監督初年度を堂林翔太選手と藤井彰人コーチのインタビューで振り返ります。またサンフレッチェ広島からは、好評連載中の「エディオンスタジアム物語」もお届けします。