『10』に代表されるように、サッカー界においても度々話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

水戸、甲府を経て現在はFC今治でプレーする土肥航大

 今回は背番号『26』を取り上げる。プロ1年目などキャリアの浅い選手がつけたシーズンがほとんどだが、背番号が変わった後に印象的な活躍を見せた選手も多い番号だ。

 固定背番号制が始まった1997年に初めて背番号26をつけたのは、MF廣池寿。鵬翔高(宮崎)から加入して2年間在籍したが、公式戦出場はなかった。

 翌1999年に26番をつけたのは、FW高橋泰。帝京高(東京)から加入し、1年目からJ1リーグ24試合に出場して6得点を挙げる活躍を見せた。のちに背負った背番号『9』を取り上げたときに紹介しているが、高橋の実家は東京都内の居酒屋。ほかの選手より加入が遅かったこともあり、その居酒屋の店内で加入会見が行われた。

 加入会見の写真撮影は、本人と強化部長の握手が一般的だが、居酒屋とあって当時の強化部長が生ビールのジョッキ、高校生の高橋がウーロン茶のグラスを持って乾杯、という面白いものに。筆者も現場にいて、やはり居酒屋だけに、「のれんをくぐってプロの世界へ」という写真を撮影させてもらったのが印象深い。サンフレッチェでは2003年までプレーし、最後のシーズンはJ2リーグで8得点を挙げて1年でのJ1復帰に貢献した。

 2000年から2年間は、前橋育英高(群馬)から加入したMF松下裕樹が26番。少しずつ出場機会を増やしながら高橋と同じく2003年までプレーし、複数のJクラブを経て、故郷のザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)で長くプレーしてファン・サポーターに愛された。

 2002年に聖光学院高(福島)から加入して1年間、背番号26をつけたFW茂木弘人も、ヴィッセル神戸を経て、2015年からは地元の福島ユナイテッドFCでプレーして現役を引退した。2003年に香川西高(香川)から加入して1年間、26番を背負ったMF高木和正も、最後は故郷のカマタマーレ讃岐でプレーしてプロキャリアを終えている。

 2004年から2年間は、MF髙萩洋次郎が26番だった。2004年はサンフレッチェユース所属の高校3年生だったが、前年に高校2年生でプロ契約を結んで背番号35でプレーしており、プロで2つ目の背番号になる。当時J2の愛媛FCへの期限付き移籍を経て復帰後は主力に成長し、2012年と2013年のJ1リーグ連覇に貢献した。

 2006年に背番号26を受け継いだのが、東海大五高(福岡)から加入したDF橋内優也。公式戦出場の機会は少なかったが、2009年まで4年間、26番でプレーしている。2010年は初めて空き番号となり、2011年にサンフレッチェユースからトップチームに昇格したFW井波靖奈が26番をつけた。こちらも3年間、26番のままでプレーしたが、公式戦出場の機会は少なかった。

 空き番号となった2014年を挟み、2015年は流通経済大から加入したDF川﨑裕大が26番に。左足のアキレス腱を二度にわたって断裂するなどケガに苦しみ、2017年途中まで背番号26でプレーしたが、公式戦の出場機会は限られた。ちなみに、名前の裕大は「やすまさ」と読む。前述の高橋泰の「泰」が「ゆたか」と読むように、知らなければ正しく読むのは困難だ。本人も加入当時に「最初から正しく読まれることは、ほとんどない」「『ゆうだい』と言われることが多い」「飛行機のチケットも『裕太』や『裕文』と書かれる」とエピソードを語っていた。

 2018年の背番号26はサンフレッチェユースから昇格したMF川井歩で、2019年途中までプレーしている。現在J2のモンテディオ山形で26番をつけており、本人にとって思い入れのある背番号になっているようだ。

 2020年に26番を受け継いだのは、やはりサンフレッチェユースから昇格したMF土肥航大。同年にJ1リーグ13試合、翌2021年は6試合に出場したが、2022年はJ2の水戸ホーリーホックに期限付き移籍した。今季は同じくJ2のヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍したが、出場機会が少なく、シーズン途中からJ3のFC今治に期限付き移籍先を変えている。

 2022年以降、背番号26は空き番号となっている。サンフレッチェは前述の髙萩や、現在所属しているMF野津田岳人、MF川村拓夢のように、期限付き移籍から復帰して主力となっている選手が多い。土肥も経験を積み、サンフレッチェの26番として復帰して活躍する姿を見せられるか注目だ。