『10』に代表されるように、サッカー界においても度々話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

広島Jr.ユース、ユースを経てトップ昇格を果たした19歳。4月の横浜FC戦ではリーグ戦初アシストをマークした。

 今回は背番号『32』を取り上げる。出場機会に恵まれなかった選手がいる一方で、高校卒業1年目の若手がつけたことが多い番号だ。

 固定背番号制が始まった1997年のMF秋満勝二、1998年から2年間、32番をつけたMF大畑隼哉は公式戦出場がなかった。2000年に加入したポルトガル国籍のMFシモンも、J1リーグでは3試合の出場に終わり、1年で退団している。

 2001年はMF李漢宰が32番をつけた。広島朝鮮高級学校から加入1年目で、同年は公式戦出場ゼロ、23番に変更した翌年もわずかだったが、3年目から出場機会を増やして活躍。サンフレッチェ退団後も複数のJクラブでプレーし、シーズン中に38歳となった2020年まで現役を続ける息の長い活躍を見せた。

 ブルガリア国籍のFWミロがつけた2002年、FW田中俊也がつけた2003年を経て、2004年はFW田村祐基が32番を託された。サンフレッチェ広島ユースからの昇格1年目で、Jリーグ初出場となったファーストステージ第5節で初ゴール。2年目以降は苦しんだものの、鮮烈なデビューでインパクトを残している。2005年からの2年間も、サンフレッチェユースから昇格したMF桒田慎一朗がつけ、1年目からリーグ戦での出場機会をつかんだ。

 空き番号だった2007年を挟み、2008年はMF岡本知剛が32番をつけた。当時サンフレッチェユース所属の高校3年生だったが、シーズン途中にプロ契約を締結。高校卒業後も2010年まで背番号32でプレーした。サガン鳥栖への期限付き移籍や完全移籍、他クラブでのプレーを経て、2021年限りで現役を引退。2022年はサンフレッチェのスクールコーチを務め、2023年からはサンフレッチェユースのコーチとして後進の指導に当たっている。

 2011年から2016年までは、ほとんどが空き番号。唯一2013年に32番をつけた韓国籍のMFキム・ジョンソクは公式戦での出場機会がなかった。

 2017年は、昌平高(埼玉)から加入したMF松本泰志が32番となった。2年目にJリーグデビューを果たすなど少しずつ出場機会を増やし、2019年の17番への変更後は他クラブへの期限付き移籍も経験。2021年途中に復帰し、2022年にはJリーグ初ゴールを決めた。

 2019年から3年間の空き番号を経て、2022年はDF山﨑大地と、MF越道草太が32番をつけた。山は当時順天堂大4年の特別指定選手で、翌年のサンフレッチェ加入が決定済み。越道はサンフレッチェユースからの昇格が決まっていたが、どちらも公式戦出場の機会はなかった。

 2023年は越道が、そのまま32番をつけてプレーした。第2節で交代出場して早くもJリーグデビューを飾ると、第7節で初スタメン。右サイドで持ち味のドリブルやクロスを披露し、複数のアシストも記録した。しかし、激しいポジション争いもあって少しずつ出場機会が減り、シーズン終盤はメンバー外になることも多かった。一定の結果は出したものの、「来季は、もっと安定したプレーができるようにしたい」とプロ2年目を見据えている。