Jリーグ創設以来30年間、ホームスタジアムとしてサンフレッチェを見守り続けてきたエディオンスタジアム広島。ビッグアーチと呼ばれた時代から、ここでは多くの記録と記憶が誕生した。ラストイヤーを迎えたエディオンスタジアム広島。そこに刻まれた紫の足跡を、関係者たちの言葉で振り返っていく。

 連載第3回は、長年『主務』としてサンフレッチェを支えてきた坂田康彰さんが登場。縁の下の力持ちとしてチームとスタジアムをそばで見守り続けてきた坂田さんが、前編に引き続き、J2降格、そして3度の優勝の瞬間など、エディスタで過ごした日々を振り返る。

2023年11月に、ホームスタジアムとしてのラストゲームを迎えたエディオンスタジアム広島。

初優勝目前、「勝ちたい」思いで頼み込んだ、雨の中の『散水』

ーエディオンスタジアム広島(以下、エディスタ)では、試合前にサポーター向けの見学会も行われていました。坂田さんは、見学会の案内役もされたということですが。

「そうなんです。案内をしていると、サポーターのみなさんが本当に楽しそうに、目をきらきらさせて話を聞いてくださるんです。そんな姿を見るとこちらもうれしくなりつつ(チームバスは時間通りに到着するかな……)と気にしつつ(笑)。バスの運転手さんとの調整も仕事の一つだったので、ドキドキしながら案内していました。森保監督体制では主務がチームバスに同乗するようになったので、ロッカーの準備などは用具スタッフに任せるようになりましたね。他には、監督やチームがストレスなく試合に臨めるように環境を整えるのも重要な仕事の一つだと思っています。監督によっては細かいルーティーンがある人もいましたが、そこに極力応えることも大切にしていました。主務の仕事には成功はないと思っていて『何事もなくて当たり前』なのです。チームがストレスなく活動するために、常に準備をしていました。難しい仕事ではありましたが、その分やりがいもありました」

ーでは、エディスタで一番の思い出は何ですか?

「やはり2012年のJ1初優勝です。今でも忘れられないのは、雨のなか無理を言ってピッチに散水してもらったことです。本来であれば、雨の日に散水は不要ですよね。ただこのシーズンは、散水しなかった日の試合はあまり結果が良くなくて……。だからどうしても水を撒きたかった。それくらい、僕たちスタッフも勝ちたいという気持ちが強かったんです。エディスタの方にも『雨なんだし、今日は散水はいらないでしょう』と言われましたが、『絶対に撒いてください』と。とにかく少しでもいいから散水してくれとお願いして、対応してもらいました。選手たちがどう感じていたかは知りませんが、あれは僕の意地でしたね」

ーそれだけ色々な思い出があると、来季からエディスタを離れることに、寂しい思いもあるのではないですか?

「もちろん寂しさはありますし、複雑な気持ちです。誰もが待ち望んだサッカー専用スタジアムが、街の中にできる。これはうれしくないわけがないんです。一方で、30年間支えてもらったエディスタでの残りの試合は、もう数えるほどしかありません。その時が近づいてくると、じわじわと寂しさや実感が湧いてくるのだと思います」

ー最後に、エディスタは坂田さんにとって、どのような場所でしょうか。

「『家』に近い場所です。ホームスタジアム、ホームゲームという名前も付きますし、色々わがままを言わせてもらったという思いもあります。チームにとっては、まさに『家』ですよね。僕たちにとっては吉田も『家』のような場所ですから、家が二つあるような感覚でしょうか。ただ、新スタジアムに移ってからも広島を拠点にする以上は、これからも関係は続いていくはずですから、家が『実家』になるような感覚かもしれません。本当に「30年間ありがとう」の言葉しかありません。「ありがとう。そして今後もよろしく」ですね。実は僕は、来年から新スタジアム管理の部署に所属することが決まっています。すごく不思議なタイミングで、こうしてエディスタとの思い出を振り返ることができてうれしく思っています。実際に開幕すると色々な問題が出てくるかもしれませんが、エディスタに負けないくらい、チームと選手をサポートしていきたいと思っています」

坂田康彰(さかた・やすあき)
広島県出身。2003年サンフレッチェ広島に入社し、副務、主務としてチームに帯同。現在は運営部に所属し、試合当日の運営を担う。