Jリーグ創設以来30年間、ホームスタジアムとしてサンフレッチェを見守り続けてきたエディオンスタジアム広島。ビッグアーチと呼ばれた時代から、ここでは多くの記録と記憶が誕生した。ラストイヤーを迎えたエディオンスタジアム広島。そこに刻まれた紫の足跡を、関係者たちの言葉で振り返っていく。

 連載最終回となる今回は、初代GMとして、サンフレッチェの礎を築いた今西和男さんが登場。森保一など日本サッカー界を代表する選手たちの育成にも尽力した。広島サッカー界の黎明期を知りつくす今西さんに、エディオンスタジアムの果たした役割を語ってもらった。(全2回・後編)

2023年、安芸高田市サッカー公園(吉田練習場)での一枚。

「あの場所でサッカーがしたい」子どもたちの憧れのスタジアムへ

ーサンフレッチェ広島がエディオンスタジアムをホームスタジアムとして、2023シーズンでおよそ30年が経ちました。今西さんのなかで、特に忘れられない思い出はありますか。

「当初から、カープの本拠地であった旧広島市民球場のような、街の中心部にあるスタジアムを理想としていました。ただ、広島でサッカーに携わる者としては、エディオンスタジアムができたことだけでもとてもうれしかったです。プロ選手はもちろん、サッカーをしている子どもたちなど、たくさんの人に応援してもらえるスタジアムをつくることは積年の夢でした。大きなスタジアムで、観客席もたくさんあって……そんな場所でサッカーができれば、きっとうれしいですよね。現在は高校サッカー広島県予選大会の決勝などでは使えますが、それ以外では、なかなか子どもたちがエディオンスタジアムを使用する機会はありません。その分、『いつかはあそこでサッカーがしたい』という、夢を与えられる場所になっているのではないかと感じています」

ーサッカーをしている子どもたちにとって、聖地のような場所になったわけですね。

「保護者の方々もそのように受け止めてくださって、みんなで応援にいける良いスタジアムができたと喜んでくださったと聞いています。スタジアムというのは、スポーツを振興するために非常に大切な要素のひとつです。『あの場所でプレーしたい』という目標を持つことで、地域のスポーツがより一層盛り上がっていくと考えられます。そうした意味では、施設をつくるということも大切なのだと思います」

ーエディオンスタジアムはAFCアジアカップ1992のメイン会場として使用され、当時は大変な盛り上がりでした。

「そうですね。広島は、多くのスポーツチームが活動している地域です。原爆で被爆したことによって、市民のなかにも、広島を日本でも有数のスポーツの盛んな街にしたいという思いがあったのかも知れません。アジアカップの決勝戦では、スタジアムが満員になるほどの観客が集まりました。あのシーンは非常に思い出深いですね。アジアカップを契機に、カープに続いてサンフレッチェも応援しようという風土ができてきたのではないかと思います」

ー日本サッカー界の発展とともにに歩んでこられた今西さんですが、エディオンスタジアムへの思いを聞かせてください。

「エディオンスタジアムに対しては、多くの選手たちが『この場所でサッカーができる』ということに喜びと誇りを感じてくれているのではないかと思っています。グラウンドも芝生になるなど、設備面も年々改善されてきました。芝生のグラウンドで、何万人という観客の前でプレーができる。これは選手としては誇らしいことだと思います。広島の方々からしても、応援できる地元のチームがあるということは喜ばしいことなのではないでしょうか。私自身、今もホームゲームの観戦に足を運ぶことがあります。決してアクセスが良いとは言えない立地だったかも知れませんが、それでもなお、たくさんのファン・サポーターの方々が見にきてくださっていることを目の当たりにすると、本当にありがたいという思いになります。エディオンスタジアムは2023シーズンで一旦の区切りとなりますが、広島サッカー界に及ぼしてくれた影響は計り知れないものがあると思っています。エディオンスタジアムは、広島サッカー振興の地として、これからも象徴的な場所であり続けるのではないでしょうか」