『10』に代表されるように、サッカー界においても度々話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

吉田練習場(現・安芸高田市サッカー公園)で、広島アスリートマガジンの取材に応える高橋壮也(撮影は2017年)

 今回は背番号『34』を取り上げる。ユース出身選手や外国籍選手、移籍加入したGKまで、さまざまなプロフィールやポジションの選手が背負ってきた番号だ。

 固定背番号制が始まった1997年の34番は、サンフレッチェ広島ユースの2期生だったDF荒木亮次(同期の雨野裕介は、2024年からサンフレッチェの強化本部長に就任)だったが、公式戦出場の機会はなく、1年で契約満了となった。翌1998年の34番もサンフレッチェ広島ユース出身のFW秋元雅博で、1年目にリーグ戦1試合に出場したものの、2年目は公式戦出場ゼロで、同年限りで契約満了となった。

 2000年はオーストラリア国籍のMFコリカが背番号34をつけた。同国の年代別代表やA代表の経験を持ち、同年のリーグ戦では21試合出場・3得点だったが、背番号を9番に変更した2001年はMFながら22試合で2ケタの11得点を挙げる活躍を見せている。

 2001年は空き番号だった34番は、2002年にDF井手口純がつけた。横浜F・マリノスからシーズン途中に期限付き移籍で加入し、リーグ戦7試合に出場している。2003年はサンフレッチェ広島ユースから昇格したFW木村龍朗が34番となり、J2リーグで戦った同年は公式戦出場の機会がなかったが、背番号を変更した2年目と3年目に出場機会を得ている。

 2004年の背番号34はDF西河翔吾。当時は広島修道大の4年生で、特別指定選手ながらリーグ戦5試合に出場した。2005年は柏レイソルからの期限付き移籍で加入したMF茂原岳人が34番となり、攻撃の軸としてリーグ戦28試合に出場して貢献している。

 空き番号となった2006年と2007年を挟み、2008年はGK中林洋次が34番となった。シーズン途中にサガン鳥栖からの期限付き移籍で加入し、移籍期限を延長して残留した2009年は持ち味の鋭い反応を生かし、リーグ戦28試合に出場するなど主力として活躍。だが完全移籍した2010年と2011年はリーグ戦出場ゼロに終わり、2012年にファジアーノ岡山に完全移籍した。

 2012年と2013年は空き番号だった背番号34を、2014年に受け継いだのはDF高橋壮也。島根県のサンフレッチェくにびきFCから立正大淞南高(島根)に進み、運動量を生かした攻め上がりが持ち味のサイドバックとして評価を高めてのプロ入りだった。最初の2年間はカップ戦のみの出場だったが、2016年にJリーグデビュー。背番号が3に変わった2017年は、J1残留争いを強いられたシーズンでリーグ戦21試合に出場し、貴重なアシストを記録するなど残留に貢献した。

 その2017年から34番をつけたのは、GK中林。同年に岡山からの完全移籍で6年ぶりにサンフレッチェに復帰し、同じ背番号をつけた。この年のサンフレッチェはJ1残留争いの中で正GKが何度か変わり、中林も14試合に出場している。

 だが2018年はリーグ戦出場ゼロ、2019年は1試合に終わり、同年途中に横浜F・マリノスに期限付き移籍。新天地でも終盤までリーグ戦出場がなかったが、優勝が懸かった最終節の後半に正GKが退場処分を受けたため、急きょ出場。横浜F・マリノスの15年ぶりのJ1リーグ優勝の瞬間をピッチ上で迎えた。

 中林は神奈川県横浜市出身で、中学時代は横浜F・マリノスジュニアユース菅田でプレーしていた。2011年にサンフレッチェがJ1リーグで優勝したときは出場ゼロだっただけに、試合後は「こうやって関わることができたのは、非常にうれしい。このタイミングで(横浜F・マリノスに)いられたことに、思うところがあります」と喜びをかみ締めていた。