新型コロナウイルスの感染拡大を受け、1951年から途切れることなく開催されていたオールスターゲームが中止となった。例年、両リーグの人気選手が一堂に介し夢の対決が繰り広げられていただけに、中止発表の衝撃は大きなものがあった。

 ここでは“カープとオールスター”に焦点を絞り、記憶と記憶に残る数々の名シーンをプレイバック。第1回第2回に続き、今回は長らく優勝から遠ざかっていた2000年から2009年までを振り返る。

プロ4年目にリーグトップの7完投をマークした黒田博樹が、5年目の2001年にオールスターデビューを果たした。

◆2001年/札幌ドーム 黒田博樹が球宴デビューで三者連続三振

 前年にルーキーイヤー以来の規定投球回に到達。またリーグ最多となる7完投をマークするなど、先発投手としての地位を固めつつあった黒田博樹が2001年に開花した。

 開幕から先発ローテーションの一角に定着し、前年を上回るペースで勝利、そして投球回を積み重ねた。前半戦の活躍が認められ、監督推薦で初めてオールスターゲームに出場。7月24日に行われた札幌ドームでの第3戦に5番手として登板し、1回3奪三振という鮮烈な球宴デビューを飾ってみせた。

 ペナントレース再開後もコンスタントに登板を重ね、最終的には初の二桁勝利、リーグトップの13完投という数字を残している。2001年を機に着実にエースへの道を歩み始め、2005年にはファン投票により再度の出場を果たしている。

プロ入り4年目にオールスターに初出場した新井貴浩。チームでは、この前年にレギュラーに定着した。

◆2002年/松山 新井貴浩がオーナーに手向けの一発

 前年にレギュラーに定着した新井貴浩が、2002年も開幕からコンスタントに成績を残し続けた。前半戦だけで15本塁打を放つと、監督推薦でオールスターゲームに初出場。第2戦に出場すると2日前に亡くなった松田耕平オーナーへの手向けの一発として、豪快な本塁打をスタンドに叩き込んだ。

 この本塁打により新井は初出場ながら優秀選手賞、ホームラン賞、新人賞を獲得。以降も移籍先の阪神や復帰後のカープで長年にわたり活躍を続け、オールスターゲームにも計8度選出された。