今シーズン、カープはプロ15年目を迎える堂林翔太が新たに選手会長に就任した。
過去を振り返れば、その時代に欠かせない主力選手、 また人望の厚い選手がカープの選手会長を務めてきた。 ここでは1996年以降のカープ歴代選手会長を振り返っていく。(全3回/前編)
◆誰もが認めたチームリーダー
1996年−1999年/野村謙二郎(4年)
【チーム順位:1996・1997年3位/1998・1999年5位】
1996年は強力打線を擁し首位を独走するも、巨人にメークドラマを許して3位に。1998年は5球団全てに負け越しとなる借金15で5位に終わった。この間、野村はFA権獲得も残留し球団初の2億円プレーヤーとなった。1999年は自身も故障に苦しむなど、チームは2年連続5位に終わった。
◆自身も故障に泣き低迷
2000年/緒方孝市(1年)
【チーム順位:2000年5位】
三村敏之監督時レギュラーに定着し、3年連続盗塁王となり、1998年以降は高い打撃力で打線の中軸をになった緒方。達川監督2年目の2000年に選手会長に就任。しかし、このシーズンは下半身の故障によりレギュラー定着後最低となるわずか21試合の出場に終わり、選手会長を1年で退いた。
◆北別府以来の投手選手会長
2001年-2002年/佐々岡真司(2年)
【チーム順位:2001年4位/2002年5位】
投手としては1987年の北別府学以来となる佐々岡真司が就任。2年間選手会長を務めた右腕は、2001年に開幕投手を務めてスタートしたが、オールスター明けからは抑えに転向するという鉄腕ぶりを見せた。2002年も開幕投手を務め、投手陣の柱として奮闘するもチームは低迷した。
◆1990年代の正捕手
2003年-2004年/西山秀二(2年)
【チーム順位:2003・2004年5位】
黄金時代を支えた名捕手・達川光男の引退以降、1990年代に正捕手として君臨したのが西山だ。Bクラスが続いていた2003年から選手会長に就任するも、自身は60試合、22試合と出場機会を減らし、チームも2年連続で5位に。シーズン終了後に巨人に移籍し、翌年現役引退した。
◆低迷期に奮闘したエース
2005年-2006年/黒田博樹(2年)
【チーム成績:2005年6位/2006年5位】
長く投手陣を支えた佐々岡から、投手陣の柱となった2005年に選手会長に就任。黒田はこのシーズン、15勝をマークして最多勝のタイトルを獲得し、ベストナイン、ゴールデングラブ賞も受賞。翌2006年は防御率1.85で最優秀防御率に輝くなど、低迷する中でエースとして意地を見せた。
《中編・2007年/新井貴浩〜》