今シーズンからプロ15年目の堂林が新たに選手会長に就任した。 過去を振り返れば、その時代に欠かせない主力選手、 また人望の厚い選手がカープの選手会長を務めてきた。 ここでは1996年以降の歴代選手会長を振り返っていく。(全3回/中編)

2007年に選手会長を務めた新井貴浩

◆不動の4番がチームの顔に
2007年/新井貴浩(1年)
【チーム成績:2007年5位】
2005年に本塁打王に輝いて以降、不動の4番打者として活躍していた2007年に選手会長に就任。 28本塁打、102打点を記録するなどカープ打線の柱として、低迷するチームを引っ張った。2年連続で全試合出場、100打点以上を記録するも、この年のオフに阪神へFA移籍のため、1年で退いた。

◆過渡期のチームを支える
2008年-2009年/倉 義和(2年)
【チーム成績:2008年4位/2009年5位】 エースの黒田博樹、4番打者である新井貴浩がともにチームを去った翌2008年、選手会長に就任したのが、前年までに黒田とのバッテリーで存在感を見せていた倉だ。2008年は48試合、2009年は43試合出場と石原慶幸の第2捕手的存在ではあったが、厚い人望でチームを支え続けた。

◆先輩捕手からバトンタッチ
2010年-2011年/石原慶幸(2年)
【チーム成績:2010・2011年5位】
2009年にWBCに出場するなど、球界を代表する捕手となった時期に先輩捕手である倉から選手会長を受け継いだのが石原。2010年は122試合に出場し、10本塁打をマーク。2011年にも110試合に出場と、低迷が続くチームで正捕手として、リーグを代表する捕手として奮闘していた。

◆松坂世代を代表するセカンド
2012年-2013年/東出輝裕(2年)
【チーム成績:2012年4位/2013年3位】
2006年以降、不動の二塁手としてチームを支えてきた東出。野村謙二郎監督3年目の2012年に選手会長に。故障もあり前年までの6年連続100試合以上出場から91試合出場にとどまり、2013年は開幕前に左膝の前十字靱帯断裂の重傷で一軍出場なしも、チームは16年ぶりAクラスを果たす。

◆チーム変換期に奮闘
2014年-2015年/梵 英心(2年)

【チーム成績:2014年3位/2015年4位】
同学年の東出から選手会長を受け継いだ梵。2014年は勝負強い打撃でチームをけん引し、2年連続3位に貢献。2015年は黒田博樹、新井貴浩がそろって復帰。梵は田中広輔の台頭で三塁手での起用が中心となり、出場機会を減らしたものの、高い守備力と経験で3連覇前夜を支えた。

《後編・2016年/小窪哲也〜》

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