『10』に代表されるように、サッカー界においても度々話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

現在はベルギー1部のスタンダール・リエージュでプレーする川辺駿。

 今回取り上げる背番号は『36』。空き番号だったシーズンも多いが、引退後の現在もサンフレッチェに携わっている人物など、さまざまな選手が背負ってきた番号だ。

 固定背番号制が始まった1997年は空き番号だった36番は、翌1998年にGK大石尚哉がつけた。ヴェルディ川崎(現東京V)時代は菊池新吉(現サンフレッチェ広島トップチームGKコーチ)とポジション争いを繰り広げ、サンフレッチェには期限付き移籍で加入したが、公式戦出場は1試合のみに終わっている。

 1999年から2002年までの空き番号時代を経て、2003年にFW眞中靖夫が背番号36をつけた。サンフレッチェが初めてJ2で戦ったシーズン途中に、セレッソ大阪からの期限付き移籍で加入。リーグ戦14試合出場・2得点の数字は突出したものではなかったが、のちのサンフレッチェのエースに影響を与えた選手として知られる。

 2002年、ジェフユナイテッド市原(現千葉)のFW佐藤寿人がセレッソ大阪に期限付き移籍で加入し、眞中とチームメイトになった。当時プロ3年目の佐藤はJ2リーグでは13試合に出場して2得点、1年限りで退団することになるが、かつて筆者の取材に「数字だけを見ると苦しい時期だったと思われがちですけど、いろいろなものを得た、その後につながる1年間だった」と振り返っている。

 この年、眞中は佐藤と同じく交代出場が多かったものの、J2リーグ28試合に出場してチーム2位の13得点を挙げ、J1昇格に貢献した。ウォーミングアップから全力で取り組み、途中出場のチャンスを得てゴールを決める眞中の姿やプレースタイルに影響を受けた佐藤は、2003年にベガルタ仙台に期限付き移籍すると、J1リーグ30試合に出場して9得点と活躍。2004年途中に退団した眞中と入れ替わるように、2005年にサンフレッチェに完全移籍し、数々のゴールとタイトルでクラブの歴史に名を刻むことになる。

 2004年はサンフレッチェ広島ユース所属の2選手が、2種登録選手(高校年代のチームに所属しながら、Jリーグの公式戦に出場できる選手)として背番号36でプレーした。まずFW前田俊介が6月にJ1リーグ初出場を果たし、この年は11試合に出場して1得点。8月にはMF髙柳一誠が初出場し、3試合に出場している。

 2005年は空き番号だった36番を、2006年に受け継いだのはGK河野直人。名古屋グランパスから完全移籍で加入し、背番号36で2007年まで2年間在籍したが、公式戦出場なしに終わっている。現役引退後は指導者となり、2017年にサンフレッチェ広島ジュニアユースのGKコーチに就任。2021年からは新しく立ち上げられた女子チーム、サンフレッチェ広島レジーナのGKコーチを務めている。

 2008年に背番号36をつけたのはGK原裕太郎。この年はサンフレッチェユース所属の高校3年生で、翌年トップチームに昇格後も2010年まで同じ番号でプレーした。2020年限りで現役を引退し、2021年にサンフレッチェ広島のアカデミー普及部コーチ・GK普及コーチに就任すると、2023年に自らもプレーしたサンフレッチェユースのGKコーチに就任した。

 2011年と2012年に空き番号だった36番は、2013年にMF川辺駿が背負った。前田や髙萩、原と同じく、当時はサンフレッチェユース所属の高校3年生で、3月にユース所属のままプロ契約を締結。直後にJ1リーグで初出場し、この年は3試合に出場した。

 トップチームに昇格した2014年も36番で、2015年も同様だったが、この年の開幕直前にジュビロ磐田に期限付き移籍。そのまま2017年まで期限付き移籍でプレーして経験を積み、2018年にサンフレッチェに復帰して再び背番号36となった。

 2019年に40番、2020年からはクラブ伝統の8番を背負い、押しも押されもせぬサンフレッチェの中心選手となった川辺は、2021年には日本代表デビューを飾り、同年途中に海外クラブに移籍。2018年以降、サンフレッチェの36番は空き番号となっているが、次につける選手も川辺のように、8番のような重みのある背番号を任せられる存在となるだろうか。