昨シーズン、プロ5年目で初タイトル「最優秀中継ぎ投手賞」を受賞したカープのセットアッパー・島内颯太郎。昨季はリーグ最多となる62試合に登板し、リリーフ陣の中心的存在として躍動した。

 カープのブルペンに欠かせない存在に成長した背番号43は、プロ野球界に足を踏み入れた瞬間、何を思い、何を誓ったのか。 ドラフトに対するイメージと、スカウトに対する思いを聞いた昨季のインタビューを改めて振り返る。(全2回/後編)

2024年日南キャンプで菊地原毅一軍投手コーチと談笑する島内颯太郎

前編はこちら

◆驚いたドラフト2位指名。スカウトのために結果を残したい

─ではここから、島内投手のドラフトについてのお話を伺っていきたいと思います。2018年ドラフト2位でカープに入団されました。毎年ドラフト会議が近づいてくると、ご自身のドラフトを思い出されますか?

「いろんな方が自分に携わってくれて、いろんな方が喜んでくれた印象があります。そこはすごく良い思い出として思い出しますね」

─入団前はドラフト会議に対して、どういう思いを持たれていましたか?

「僕の場合、3位以下だと社会人に行きますと伝えていました。実際、僕自身の評価としては、大学4年の頃の成績があまり良くなかったので、 『3位以内は厳しいのかな……』と思っていた部分もあり『奇跡が起きないと、プロは厳しい』と思っていたのが正直なところです。なので、内心は社会人に行く気満々だったと言いますか、社会人でやり直さないと、プロにはいけないだろうと思い臨んだドラフト会議でした。なので、不安と諦めも半分あったような感じですね」

─実際には、カープからドラフト2位で名前が呼ばれました。その瞬間はどんな気持ちでしたか?

「2位というのがびっくりでしたね。もし呼ばれたとしても3位だろうと思っていたので、全然心の準備もしていなくて。『まだもう1巡あるから、もうちょっと時間があるな』『次の3人目が勝負だな』と思いながら待っていました。なので、本当に2位で呼んでいただけたことにまず1番びっくりしましたね」

─ドラフト会議当日はどういった1日を過ごされていましたか?

「おそらく練習を普通にしていたと思います。ヤクルトの久保(拓眞・ドラフト7位)が同期で、一緒にプロ志望届を出していました。練習を切り上げて、学校のブレザーに着替え、控え室みたいなところで僕と久保と当時のマネージャーの3人で待っていました。大学が記者会見場も用意してくれていたので、結構記者の方もいらっしゃって、その人数にまず圧倒されて、『こんなに人が来てるのか!』と思いましたね。あと、これで呼ばれなかったらちょっと申し訳ないなとも思っていました(笑)」

─待機している際は、久保投手とはどんなお話をされていたのでしょうか?

「どちらか1人だったら、本当に気まずいねと話していましたね(笑)。呼ばれるなら2人が良いねという感じでした」

─実際に、カープに入団することになり、同期には小園海斗選手、林晃汰選手、羽月隆太郎選手などドラフト1位から7位までのうち5人が高卒でした。どういう心境でしたか?

「大学生の1個、2個下とは違い、いきなり高校生と一緒のチームというのはすごく違和感がありましたね。正直最初はどう接して良いのかが分からなくて、大学の後輩たちよりもさらに下なのかと思ったら、難しかったですね(笑)。この時代の4年間って、結構なカルチャーの違いもあると思うんですよね」

─確かに学生時代の4年間の差はすごく大きいですよね。

「人にもよりますが、プロに入ればドラフト同期であれば、友達みたいな感覚で接しますけど、入団直後の4歳差っていうのはすごく大きく感じて、しかも野手が多かったので、本当に最初はどう接するかという部分が難しかったですね」

─その同期の選手が活躍する姿は刺激を受けるものですか?

「同期はより特別な目で見てしまいますね。打席に立っている時も、『頑張ってほしいな』とか、 みんなで結果を出して、『この年のドラフトは良かったね』と言われたらやっぱりうれしいですよね。投手としては、田中法彦(2022年退団)ともまだまだ一緒に頑張りたかったですし、みんなで一軍にいる期間があれば良かったなと思います。それぐらい同期は僕にとって特別な存在です」

─とても良い関係性なのですね。ではスカウトとの関係性について伺います。島内投手の担当は、末永真史スカウト(九州担当)ですが、当時視察に来られているのはご存知でしたか?

「当時は末永さんのことはあまり認識してはいなくて、大体この試合に“何球団来てるよ”とかそういう情報は聞いていたのですが、実際にどなたが、どの球団かなどは分からなかったんです」

─“視察に来ている”と聞くと意識されるものですか?

「やはりどうしても良いピッチングをしてやろうとは思いましたね。でも、見に来られるのはリーグ戦などの実戦が多かったので、チームとして勝たないといけませんし、僕のことだけを考えてはいられませんでした。ただ、より良いピッチングをしたいという気持ち、気合が入るという感じはあったと思います。それが気合いが入るのか、力みなのか、どっちなのか分からないですけど(笑)」

─末永スカウトとはプロに入られてもよく連絡を取りますか?

「節目節目で連絡をいただいたり、僕の方からも何かあれば連絡したりします」

─島内投手にとってスカウトの方たちの存在はどんなものですか?

「僕であれば、担当は末永さんなので、本当にこの人がいなかったら、今僕がここにいることもなかったんだろうなと思ったりします。あとから聞いた話ですが、僕を獲ってもらうためにいろいろと進言してくださったり、頑張ってくださったということで、末永さんのためにも結果を出さないといけないと思いますね」

─2018年のドラフトでは、島内投手と栗林良吏投手のどちらを指名するかという秘話があったそうです。以前取材させていただいた際、お互いそれも良い思い出になっていると伺いました。

「どっちを取るかという話で、当時は僕を指名してくださいました。ただ、栗林が入団してから、栗林が先に結果を残し、僕の中では少し末永さんに申し訳ない気持ちがありました。末永さんのためにも結果を出さないといけないという思いはありました」

─まさに選手とスカウトの信頼関係ですね。

「そうなんですかね。『この選手を獲りたい!』と言って獲得した選手が結果を出さなかったらと思うとですね……」

─初タイトルを末永スカウトもきっと喜ばれていることでしょうね。

「本当にプロに入れてもらったのは末永さんのおかげなので、そこは大事かなと思っています」

─では最後に、島内投手にとって“ドラフト会議”とは人生でどんな出来事だったと言えますか?

「そうですね。“野球を職業にした日”ですかね。プロ野球の世界に入るか入らないかで、その先の人生も大きく変わってくると思います。小さな頃からの夢だったプロ野球選手になれた瞬間でもあり、人生がガラッと1番大きく変わった出来事だと思います」

【広島アスリートマガジン2月号】
上本崇司選手と堂林翔太選手が表紙を飾ります★!

▶︎広島アスリートマガジンオンラインショップ

▶︎Amazon