2005年から12年間をサンフレッチェ広島で過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。ここでは、共に紫のユニホームを着た数々のチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を振り返っていく連載企画をお送りする。
今回は 2012〜2014年に広島でプレーした、ファン・ソッコとの思い出を振り返る。 (全2回・前編)
◆守備能力の高さを生かし、相手のサイドを抑える
ソッコと初めて会ったのは、サンフレッチェに加入してきた2012年です。大卒1年目のルーキーとはいえ、この年のロンドン五輪出場を目指すU-23韓国代表選手でもあり、即戦力として期待されているのだと感じました。
一緒に練習するようになって感じたのは、個の能力の高さ。スピードや体の強さを生かしたディフェンスが非常に優れていました。組織プレーで力を発揮することには慣れが必要でしたが、常に紅白戦で対峙していたので、1対1など守備の強さを感じることが多かったです。
リーグ開幕戦から控えでメンバーに入り、右サイドのミカ(ミキッチ)や、左サイドのヤマ(山岸智)との交代で出場機会をつかみました。守備能力の高さを生かして、マッチアップする相手のサイドの選手をしっかり抑えてくれる。就任1年目だったポイチさん(森保一監督)の要求に応えるのは大変だったと思いますが、センターバックタイプのソッコがサイドで起用されていたのは、それだけポイチさんの評価が高かったからだと思います。攻め上がってチャンスを作るプレーは得意ではなかったですが、アウェイでの川崎F戦(4月28日・〇4-1)では、右からの正確なセンタリングで僕の得点をアシストしてくれました。
プロ1年目に母国を離れてプレーするのは、自分が同じ状況だと想像すると心細かったはずですが、通訳のカンちゃん(李康行氏)を通じて、何でもオープンに話してくれました。ソッコ自身の人柄も良く、日本とサンフレッチェになじむために努力していましたが、カンちゃんも選手に親しまれる明るいキャラクターの持ち主で、ソッコとの間に入って活躍を後押ししていました。
サンフレッチェでプロとしてスタートしたことは、通訳などの環境面以外でもソッコにとってよかったと思います。当時はポイチさんが監督、ヨコさん(横内昭典氏)がコーチで、若手は週に2回、午前の全体練習後に午後も練習していました。2部練習は僕が外から見ていても「こんなにハードなのか」と感じるほどで、翌日は参加した若手の誰もが疲れた様子でしたが、プロの初期に質・量ともしっかりした指導を受けた選手はソッコに限らず、その後も充実したキャリアを歩んでいると思います。
夏にはロンドン五輪のメンバーに選ばれ、センターバックとして全試合に出場して韓国の3位入賞に貢献します。帰国すると練習場に銅メダルを持ってきてくれたので、チーム全員で祝福しました。3位決定戦で日本が敗れたのは悔しかったですが、それとは別にサンフレッチェの仲間の活躍は喜ばしかったです。
J1初優勝を決めた試合(11月24日・〇4-1C大阪)では交代出場し、歓喜の瞬間をピッチで迎えました。試合後のセレモニーで僕が優勝シャーレを掲げたとき、ソッコは向かって右側2番目の良い位置で、しっかり弓矢ポーズも決めていますね(笑)。プロ1年目で五輪代表の活動もあるという、タフなシーズンを戦い抜いた勲章になりました。
◆ファン・ソッコ
1989年6月27日生、韓国出身
ポジション・DF サンフレッチェ広島/2012~2014年
韓国の大邱大から2012年にサンフレッチェに加入。主にサイドの控えとして同年のJ1初優勝に貢献し、ロンドン五輪では韓国を3位に導いて銅メダルを獲得した。2015年に鹿島に移籍し、中国のクラブを挟んで清水、鳥栖でもプレー。2023年終了後に母国の蔚山現代に移籍した。