2024年2月、広島に「エディオンピースウイング広島」がオープンした。J1リーグが開幕し、サンフレッチェ広島のホームスタジアムとして毎試合大きな盛り上がりを見せている。待望のサッカー専用スタジアム実現には、様々な人々が尽力してきた。
その1人が、サンフレッチェ広島の初代GMとしてクラブの礎を築いた今西和男氏だ。現在、日本代表監督を務める森保一など、多くの選手たちの育成にも尽力し、日本サッカーの発展にも大きく寄与してきた。昨季までサンフレッチェを支えてきたエディオンスタジアムについて、そして新スタジアムについての思いを聞いた。(全2回・1回目/「広島アスリートマガジン2024年1月号」掲載記事を再編集)
◆サンフレッチェの創成期を知る、広島サッカー界の第一人者
ー今西さんは、サンフレッチェの前身である東洋工業蹴球部の時代にチームに加入され、選手として、そして引退後はGM(ゼネラル・マネージャー)としてサンフレッチェの創設、運営に大きく携わってこられました。後の代表監督であるハンス・オフト氏を広島の監督に招聘されたのも今西さんです。今回は広島サッカーの基礎を築かれた今西さんに、エディオンスタジアム広島への思いをお伺いしていきたいと思います。
「はい、よろしくお願いします」
ー1993年のJリーグ発足当初、サンフレッチェのホームスタジアムは観音の総合グランド(現在のBalcom BMW 広島総合グランド)でした。そこからエディオンスタジアム広島に移行したのは、1994年のことです。
「Jリーグのホームゲームは、1シーズンに多くても20試合程度しか開催されません。サッカー専用のスタジアムとなると、年に数度しか試合で使用しないということになります。芝生の維持や設備の管理にかかる費用を考えると、ある程度の入場料を取らなければなりません。収入と維持費を考えると、どうしても制約が出てきてしまうのです。そうした問題もあったことから、当時は教育委員会の方を始め、広島市役所、県庁の方々にいろいろとバックアップをしていただきました。広島のスポーツといえば当時から、『広島といえばカープ』と言われるほどの人気でしたから、カープに続いて日本一を狙えるようなサッカーチームにできるように、なんとか努力をしたいという思いでした」
ーとはいえ試合数の問題など、なかなかご苦労されたことも多かったのではないでしょうか。
「Jリーグが開幕した当時は、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969)など一部のクラブの試合を広島ビッグアーチ(現在のエディオンスタジアム広島)で行い、他のクラブの試合は総合グラウンドで行うなど、2つのグラウンドを使い分けていました。サッカー専用グラウンドを維持管理していくのにはどうしても費用がかかりますが、その点、エディオンスタジアムは陸上競技場も兼ねていますから、陸上競技連盟の方々と協力しながら開業にこぎつけ、ここまで運営をすることができてきたのではないかと思っています」