『10』に代表されるように、サッカー界においても度々話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。2021年3月の連載開始以来、39回にわたってサンフレッチェの背番号の歴史を振り返ってきた今連載。最終回となる今回は、これまでに取り上げていなかった番号を厳選してピックアップする。
今季からサンフレッチェの歴史上で最も大きな数字となる背番号77をつけているのは、FW大橋祐紀。湘南ベルマーレからの完全移籍で加入し、浦和レッズとのJ1開幕戦でエディオンピースウイング広島の公式戦初得点を含む2得点を挙げて勝利に貢献すると、5月26日の第16節終了時点でチーム最多の7得点を挙げる活躍を見せている。
加入の際に「第1希望はFWらしい番号。クラブからは30番以降で、と言われた」という。プロ初のクラブである湘南では17番をつけており、7がついている番号ということで77番にしたそうだ。開幕直後から高い決定力を発揮して、インパクトのある数字に負けないだけのプレーを見せており、今後もタイトル争いのカギを握る存在となりそうだ。
77番に次ぐ大きな数字である51番は、FW加藤陸次樹がつけている。1学年上の大橋は中央大時代のチームメイトで、どちらも攻撃の中心として活躍し、今季プロで再び同じチームに在籍することになった。
サンフレッチェ広島ユースからのトップチーム昇格は実現できなかったが、中央大卒業後に当時J2のツエーゲン金沢で活躍し、セレッソ大阪を経て2023年途中に完全移籍でサンフレッチェに帰ってきた。走力を生かして守備でも貢献するプレーでミヒャエル・スキッベ監督の信頼も厚く、大橋とともに攻撃の軸として、さらなる活躍が期待されている。
2019年にDF高橋壮也、2020年に当時は立命館大4年の特別指定選手だったMF藤井智也がつけた50番は、2017年につけたFW工藤壮人が印象深い。柏レイソル時代に数々のタイトル獲得に貢献し、アメリカのクラブを経て加入したが、この年のサンフレッチェは開幕から低迷。J1残留争いに巻き込まれ、工藤も18試合出場・3得点と不本意な成績に終わった。
背番号を9に変えた翌年も結果を残せず、期限付き移籍を経てサンフレッチェを退団した後はオーストラリアのクラブを経て、2022年からJ3のテゲバジャーロ宮崎でプレー。だが同年秋に水頭症を発症し、10月21日に32歳の若さで亡くなった。
サンフレッチェは翌日に東京・国立競技場でJリーグYBCルヴァンカップ決勝を戦い、選手たちは喪章をつけてプレー。会場には背番号50の工藤のユニフォームを着たサンフレッチェファミリー(ファン・サポーター)が多数駆けつけており、後半アディショナルタイムの2得点で逆転し、2-1で勝って初優勝を飾った劇的な一戦を後押しした。
背番号44は、2016年途中に加入して初めてJリーグのクラブでプレーし、2017年のJ1残留に貢献したブラジル国籍のFWアンデルソン・ロペスや、同じブラジル出身のMFハイネル、現在はファジアーノ岡山に期限付き移籍中のMF仙波大志がつけた。41番は2018年、当時は広島ユースの高校3年生だったMF東俊希が最終節でJ1デビューを飾ったときの背番号で、2021年から2年間は同じ広島ユース出身のMF長沼洋一が背負っている。
そして、長く空き番号となっているのが背番号12だ。
1993年のJリーグ開幕当初は試合ごとに先発メンバーが1番から11番、控え選手が12番から16番をつける、いわゆる『変動背番号制』で、同年5月16日の記念すべきJリーグ開幕戦ではMF小島光顕がつけていた。1-1で迎えた76分にMF森保一との交代で出場すると、82分に決勝ゴールを決め、クラブ史上初のJリーグでの勝利に貢献している。1997年、現在と同じ『固定背番号制』が始まると、同年と1998年はFW大木勉、1999年はDF菊池利三(菊池新吉GKコーチの実弟)、2000年はGK加藤竜二がつけた。
だが翌2001年、12番は『サポーター番号』となり、現在に至るまでサンフレッチェファミリーの番号となっている。ピッチに立っている選手11人だけでなく、ファミリーも12番目の選手として一緒に戦っている、という思いが込められているのは、あまりにも有名だ。
風間八宏から森﨑和幸、川辺駿へと受け継がれ、現在はMF川村拓夢がつけている背番号8。森保一、森﨑浩司、茶島雄介が背負い、現在はMF野津田岳人がつけている背番号7。そして、FW佐藤寿人からFW満田誠へと渡った背番号11。これらサンフレッチェ伝統の背番号も、いずれは別の選手がつけることになるはずだ。
しかし、背番号12を選手がつけることは、もうないだろう。サンフレッチェファミリーの象徴として代々受け継がれ、紫の歴史を形作っていくに違いない。