川村拓夢が移籍に向けチームを離脱するなど、選手の動向に注目の集まっているサンフレッチェ広島。Jrユース、ユースでサンフレッッチェ広島のサッカーを学び、武者修行を経て広島に凱旋した野津田岳人も、今夏海外への移籍を決断した一人だ。
ここでは、2023年に収録した野津田のインタビューを再編集してお届けする。自身初のA代表入りを果たした2021年を、野津田の言葉で振り返る。(「広島アスリートマガジン」2023年3月号掲載記事を再編集)
◆刺激になったE-1選手権、カタールW杯。森保監督のもとで戦った大舞台
ー2022シーズンを振り返ると、E-1選手権で初のA代表に選出されました。森保一監督と共に、世界を相手に戦った印象はいかがでしたか。
「初めてのA代表ということで、『やっとここに来れた』という気持ちと、ワクワクした気持ちが入り混じったなかでの活動になりました。それと同時に、ポイチさん(森保監督)が代表監督をされているときにA代表に入れた喜びもありました。ただ、僕個人としては悔しい思いが強い選手権だったというのが正直なところです。まだまだ自分の力が足りていないと感じたので、そういう意味では、思っていた以上の刺激を得ることができた場所でもありました。本当に行けて良かったなと思いましたし、よりもっと高いところを目指そうと思うことができましたし、またあの場に行きたいとも思いました。そのためにも、もっともっと自分自身が成長しなければならないと感じることができたので、すごく自分にとって有意義な時間と場所だったと思っています」
ー野津田選手にとって、森保監督とはどのような存在でしょうか。
「そうですね……。小学校の頃からずっと見てくれていたというか、実際にサッカーを教えてもらってもいましたし、小さい頃からの先輩のお父さんということもあって、家に遊びに行ったりもしていたんです。僕が初めてプロになった時の監督がポイチさんだったということもあって、どちらかというと『最初の監督』というイメージのほうが強いですね。自分を育ててくださった監督という思いが一番です」
ー2022年の11月20日から12月18日にかけ開催されたカタールW杯では、同期でもある浅野拓磨選手の活躍もありました。
「カタールW杯は、とにかく刺激しかない大会でした。監督も含め、広島でいっしょにプレーしていた選手が活躍しているところを見ると、純粋に『自分もあの舞台に立ちたい』と思いましたし、『そのためにどうすれば良いのか』ということも考えました。僕自身もレベルアップしなければならないと感じましたし、自分も世界と戦いたいという思いは、いっそう強くなりましたね」