2021年の入団直後から、チームのなかで存在感を示してきた寺嶋良。昨年3月に右膝を故障し、初のリーグ優勝はコート外から見守った。不安、苦しさ、もどかしさ。複雑な感情を抱きながらも自分自身と向き合い続けた寺嶋は、1月、ブースターの大歓声のなか、再びコートに戻ってきた。復活の時を迎えた主力が、ケガと向き合った1年を振り返る。(全2回/第1回)

コート内外でチームに貢献する寺嶋良

広島移籍で引き上げられた、モチベーションと競技力

—2021年5月に広島へ移籍してから5年が経ちました。改めて当時を振り返って、いかがですか?

 「移籍当時から、『巻き返しを図るため、かなり補強をする』と聞いていました。ここから這い上がって大きくなっていくチームだと思えたし、その歴史の中に自分も入りたいと思いました。挑戦したい気持ちもあり、移籍を決めました。広島は街全体がスポーツに関心があって熱がすごいので、選手としてのモチベーションは、広島に来てから大きく変わりましたね」

—入団後主力選手として活躍されましたが、どのような期間でしたか?

 「普通はベテラン選手がメインで活躍するので若いうちはなかなか出場機会がないのですが、広島はPG(ポイントガード)が同世代ばかりだったおかげでプレータイムがいただけて、試合の中で経験を積むことができました。それが自信につながり活躍できたと思うので、運が良かったと思います」

—チームに欠かせない存在ですが、昨年3月、試合中のケガで離脱を余儀なくされました。療養期間はどのように過ごされましたか。

 「先が見えなかったので、とにかく1日1日、やるべきことをやって過ごしていました。何もしていない時間はネガティブになるというか、不安が増してしまうので、いろいろアクションを起こして没頭して、あまり考えないようにしました」

—そんな中、中村拓人選手をはじめ若手PGが大躍進。焦りはなかったですか?

 「そもそも『もう一度バスケができるのか?』という不安の方が大きくて、そういう焦りみたいなものはなかったですね。チームがどうこうというより、自分と向き合うことしかできなかったので」

—自身の不在中にチームが初優勝したことは、どう感じられましたか?

 「引退が決まっていた朝山(正悟、現ヘッドコーチ)さんに優勝で花を持たせたいとみんなが思っているなか、ケガをしてしまい責任を感じていたので、優勝してくれて本当に良かったと思いました。もちろん、自分もコートに立ちたかったし、複雑な感情はありましたが、仲間やこれまで支えてくれた人たちへの感謝の気持ちの方が強かったです」

(後編へ続く)