バスケットボールのプロリーグ化に奔走し、現在は新潟アルビレックスBBラビッツでヘッドコーチを務める東英樹氏と、その長男で『サラリーマン選手』から一念発起してプロへ転向した、しながわシティバスケットボールクラブの東宏輝選手。『プロフェッショナル』であることにこだわりを見せる二人から、知られざる親子のエピソードやバスケットボールの魅力など、さまざまなお話を伺った。
◆プロである以上『できる方法を考える』
―プロでプレーする選手に求められるものはどんなものですか?
(英樹)「プロは結果がすべての世界です。実際に私も三井生命を退職し、日本初のプロバスケットボールリーグである『bjリーグ』の事務局に入りました。営業やアカデミー設立に携わりましたが、この世界では成果を出せなければ当然のようにクビになります。その覚悟を持てるかどうかが重要です。もう一つ大切なのは、プロである以上『できる方法を考える』ことです。例えば、『お金がないから勝てない』などと言い訳をしても、何も変わりません。言い訳ではなく、どうすればできるかを考え、実行するのがプロだと思っています」
―宏輝選手は、プロバスケットボール選手としての目標や今後のビジョンはどのように考えられていますか?
(宏輝)「2つあり、1つ目は、常に自分の目標、チームの目標に向かって、どうしたら勝てるか、どうしたら達成できるかを考えられる選手でありたいと思っています。自分のことだけでなく、チームメートや組織のことも考え、子どもたちの目標となるような選手になりたいです。2つ目は、自分はサラリーマンからプロへキャリアチェンジした、数少ない選手の一人です。その経験を活かし、自分にしか伝えられないエピソードを次の世代へ届けられる存在になりたいですし、小さい頃に父のプレーを見て『プロってかっこいいな』と感じたように、子どもたちにも同じ思いを抱いてもらえるような存在でありたいです」
―サラリーマン選手からプロへ転向したきっかけは?
(宏輝)「豊田合成でプレーしていたとき、キャリアハイを取った試合が大きなきっかけでした。同級生にはトップリーグで活躍する選手が多く、『自分にもできる』という自信が芽生えました。彼らを羨ましく思うこともありましたが、『引退する前に、バスケットボールだけで勝負したい』という思いが強くなり、思い切ってサラリーマンを辞めてプロへ転向しました。プロの世界は結果がすべてであり、サラリーマン時代とは違う緊張感があります。“今年ダメでも来年がある”わけではなく、一つひとつのプレーに責任が伴います。そのプレッシャーを乗り越えることが、今の自分の課題だと感じています」
―お二人にとってバスケットボールとはどんなものでしょうか?
(英樹)「私の大学時代の恩師であり、全日本男子代表監督も務めた笠原成元先生が、『バスケットボールは人間が考えた中で最も優れたスポーツだ』とおっしゃっていました。この競技は、個人の技術だけでなくチーム戦術が求められ、自分の背丈よりも高いところにあるゴールへ、ボールゲームとしては最も大きなボールを入れるスポーツです。また、オリンピックごとにルールが変わるため、戦術的にも非常に難しい。私はヘッドコーチを務めていますが、バスケットボールほど難しいスポーツはないと思っています。1回攻めたら必ず1回守らなければならず、野球のようにヒットを続けたり、ラグビーのようにボールをキープして得点したりというわけにはいきません。絶えず攻守が切り替わる競技だからこそ、ヘッドコーチの采配が試合を左右することが多いのです。私はヘッドコーチをやっていますが、それを理解しながらやらないといけないので大変ではありますが、面白いスポーツだと思っています」
(宏輝)「将棋を指すようなスポーツだと父から言われて育ちました。表と裏のあるスポーツなので、駆け引きが面白いところに魅力があると思います。上手くいってもいかなくても、『じゃあどうする?』という会話がチーム内で生まれるところも魅力だと思います。バスケットボールというスポーツに出会えて良かったです」
―これまで、お互いに『影響を受けた』と感じたことはありますか?
(英樹)「子どもが生まれるとき、8カ月まで一人だと思っていたのですが、双子だということが判明しました。どちらが先に生まれるかで、長男と次男が変わった時代でしたが、そんな区別をしないで平等に機会を与えて育てようということがテーマでした。ひとりは今もバスケットボールを続けて、もう一人は引退してビジネスの世界へ進みました。お互いに上を目指して、葛藤もあったと思いますが、双子の子どもたちから教えてもらったことは多々ありました」
(宏輝)「父に連れられてバスケットボールを始めたので、これが一番の影響ですね。そんな中で、プロの試合を間近で見たり、選手と触れ合う機会があったりしたことで、自然とバスケットボールの道を進むことになりました。また、普通ならコーチから指導を受けるところを、父親からもフィードバックをもらえる環境にいたのは貴重な経験でしたね」
―宏輝さんが、サラリーマン時代の4年間で得たものはなんですか?
(宏輝)「シンプルに言うと、パソコンスキルや資料作成能力、アポの取り方、話し方などの社会的スキルを身につけられたことです。また、サラリーマンとしての収入形態を理解し、個人事業主との違いを学べたのも大きな収穫でした。プロに転向する前に経験できて良かったと感じています」
―お二人にとって『プロフェッショナル』とはどんな姿だと考えますか?
(英樹)「私は『プロとアマの違い13箇条』(大和ハウス工業・樋口武男氏が提唱)をただひたすら実践しているだけです。三井生命の営業はシビアな世界でした。成績が悪ければ厳しい環境に置かれます。その中で6年間必死に努力し、最終的に統括営業部長になりました。『bj-league』の事務局にいたときも絶えず実践をして、11年間『できる方法』を考え続けました。筑波大女子バスケットボール部のコーチをさせていただいたときも、名古屋学院大の男女バスケットボール部のときも同様でした」
(宏輝)「私も同じ『プロとアマの違い13箇条』を見て育ったので、全く同じですね」
―バスケットボール界の未来をどのように想像していますか?
(英樹)「八村塁選手や渡邊雄太選手が引退した後も、日本代表が勝ち続けられる環境をつくらなければなりません。男子のバスケットボールは観客動員数が増えてきましたが、女子はまだ発展途上です。現場で感動を生み出し、人を惹きつけるコンテンツにするための努力を続けています。私自身は、新潟アルビレックスBBを通じて地域の方々を元気にすることに全力を注いで参ります」
(宏輝)「近年、NBAに挑戦する日本人選手が増えてきたことは、日本バスケットボール界にとって大きな誇りです。父が長年バスケットボールに関わり、その積み重ねが今の環境をつくっていることを目の当たりにしてきました。次は自分が選手としてどう貢献していくか、引退後のキャリアについても考えるきっかけになっています。未来がどうなるかは分かりませんが、バスケットボール界には明るくワクワクする未来が待っていると信じています」
◆プロフィール
■東 英樹(ひがし・ひでき)
1966年10月5日生まれ/青森県出身
選手歴:青森高校ー筑波大学ー三井生命バスケットボール部
指導歴:筑波大学男子バスケットボール部(1995-1996)ー三井生命女子バスケットボール部(1996-2000)ー筑波大学女子バスケットボール部(2014-2017)ー名古屋学院大学男女バスケットボール部(2018)
サンロッカーズ渋谷 GM(2019-2020)ー三遠ネオフェニックス GM(2020-2022)ー新潟アルビレックスBB GM(2022-)
■東 宏輝(ひがし・ひろき)
1995年6月24日生まれ/埼玉県出身
選手歴:國學院久我山高ー名古屋学院大ー豊田合成スコーピオンズ(2017-2022)ー東京ユナイテッド(2022-2023)ー富山グラウジーズ(2023-2024)ーしながわシティ(2024-)