2008年にMLBクリーブランド・インディアンスの、メディアリレーションズ部のインターンとしてキャリアをスタートした新川諒氏。通訳、ライターをはじめ、NBAワシントン・ウィザーズの日本向けマーケティングマネージャー、MLBシンシナティ・レッズのスカウティングコンサルタントを務めるなど、日米で幅広く活躍している。どのようにして新川氏はこの仕事を始めたのか。「ワクワクする仕事をしたい」と語る彼の生きざまに迫る。(全4回/4回目)
◆スカウトが正確な判断を下せるために適切な情報を提供
―新川さんはシンシナティ・レッズでスカウティングの部門に所属されていますが、野球経験がない中でどのように野球というスポーツを見ていらっしゃいますか?
「チームのメディアガイドにもスカウティング部門のメンバーとして記載されています。ただし、名刺には『コンサルタント』と書かれており、実際の業務はスカウトとは異なり、情報提供やスカウトの方々の壁打ち相手となることに重点を置いたものになっています。スカウティング部門にはもちろんスカウト担当がいるので、コンサルタントの私が意見を述べて『いやいや、それは違う』と反論するつもりは全くなく、どちらかというとサポート役としての立場が主です。彼らが正確なスカウティングや評価を行えるように、必要な情報を素早く提供することが私の役割になってきます」
ー具体的にはどのような内容になるのでしょうか?
「例えば、チェックしている選手の球速が落ちていたり、変化球の精度が変わっていたりすると、『投球フォームを調整中なのか?』『新しい球種を試しているのか?』といった背景を知ることが必要です。メディアの情報をチェックしたり、関係者と話をしたりすることで『今は調整中で球速が落ちているのか』と理解し、評価を適切に行えるようになります。情報がない状態では、『球速が5キロ落ちている』ことに対して、ケガをしているのではないか、といった誤った判断につながることもあります。それによって、本来獲得すべき選手をリストから外してしまうリスクもあります。その逆も然りです。スカウトが正確な判断を下せるように、適切な情報を提供することが役割の1つです」
ー情報提供という役割なのですね。
「コンサルタントという肩書きは、何をしているのか分かりづらいかもしれませんが、日本の市場でメジャーリーグを目指す選手が増えてきたからこそ生まれた役職でもあると思います。長年現場に携わってきた経験から、選手が技術的な面だけでなく、コミュニケーションや生活面などでもどのような課題に直面するのか側で経験しています。アメリカの球団があまり考えないような点をこちらが考え、事前に対策を意識させることも重要な役割の一つですね」
ーメジャーリーグには、現在、多くの日本人選手が活躍しています。
「これだけ日本人選手が増えても海外メディアなどで話題として挙がるのが、日本人選手を一人獲得したら、もう一人獲得して環境を整えるべきかどうか、といったことです。これはケース・バイ・ケースでありますが日本人選手を獲得した時にどんな文化の違いや迎え入れる準備をすべきかなどを球団のスカウトや関係者が気づかないことも多いため、共に考え、日本人的視点や通訳としてのこれまでの経験から情報を提供することが大切です。こうした役割を担うコンサルタントはまだ少ないかもしれませんし、スカウト業務の一環としてこうした役回りが含まれていることも多いでしょう」
―野球経験がなく、通訳をされていた新川さんが野球界で働くきっかけ、経緯はどのようなものがあったのですか?
「シンシナティ・レッズで働くことになったことについては、いろいろな野球に関わる仕事を経験したことでつながったものだと考えています。レッズは秋山翔吾選手を獲得するまで日本人選手を獲得したことがない球団だったので、これまで総合的に日米の野球に関わってきたっていう経験を買っていただいたのだと思います。経緯についてお話をすると、『ウィンターミーティング』は、大物選手の移籍交渉で代理人や球団関係者が集まるイベントとして知られていますが、野球業界に新たに参入したい企業や、新商品を展開したい企業も集まる展示会のような機能もあります。その一部で、マイナーリーグ機構が主催する『ジョブフェア』という、就職フェアのようなイベントも開催されていて、本当に野球に関わるあらゆる人が集まる年に一度の大きなイベントとも言えます」
ーあらゆるイベントの中で、どのような立場で関わられたのですか?
「私はインディアナポリスで開催された2009年に行きましたが、まだ仕事も決まっておらず、大学を卒業したばかりの立場だったので、何かアクションを起こさないといけないと思い、車で数時間かけて会場に行きました。その前に、他の29球団に『行きますので、5分だけお時間いただけませんか?』みたいなメールを送っており、『現地に着いてから調整しましょう』といった返事をいくつかもらって、会場へ行きました。運よく、ボストン・レッドソックスが通訳を探しているという話がクリーブランド経由で来ていたので、現地で連絡をとり、球団関係者や当時の投手コーチ、代理人の方に会って、その場で内定をもらったということがスタートでした。『ウィンターミーティング』は、いろいろな都市で毎年開催されていて、開催地はオールスターゲームみたいに持ち回り制になっています。会場はホテルを丸ごと貸し切り、隣にコンベンションセンターがあることが多いので、野球に関わる仕事を探している人はロビーで関係者を待ち伏せして、話しかけにいくこともあります。メディアの方もたくさん来ていますし、いろんな機能を持った場でしたね。レッドソックスでは1年で契約が終了して、また仕事を探さなければならない状況になりました。通訳は選手個人に付く仕事なので、選手の動向にも影響されますし、基本的に長期保証はありません。だから、すべての可能性に対してオープンな姿勢でオフシーズンを過ごすことになります」
ーその他の活動があれば聞かせてください。
「その後はミネソタ・ツインズで2年、シカゴ・カブスでも2年通訳を担当していました。所属時には、マイナー契約で加わった日本人選手には通訳が付かないこともあり、兼任して数名の選手をサポートすることもありました。色んな選手と出会い、仕事をできたことも本当に財産になりました」
―これまでさまざまなポジションで様々な仕事をされてきましたが、大切だと思うことはどんなところでしょうか?
「フリーランスとして働くようになった今も、やはりネットワークの力は本当に大きいです。通訳時代も毎年仕事を探すという立場で、今も基本的には人とのつながりの中で仕事が成り立っています。何かやりたいと思っても、自分はチームや事業を持っているわけじゃないので、ニーズに合ったときに『この人なら合うかも』と思ってもらえるような存在でないといけません。そう思ってもらえるようになるためには、やはり日々の信頼関係やネットワークの構築が大事だと感じています。最初にアメリカの大学でスポーツマネジメントを学んだときも、先生たちが『大切なのはネットワークをつくる力』と何度も言っていました。履歴書の中身を良くするには、ボランティアや経験を積むしかない。そしてそれを支えるのは人との出会いや、つながりだということも印象に残っています。自分はスポーツ業界に縁があったわけでもなく、完全にゼロからスタートしているので、つながりがなければ何も始まらなかった。その経験があったからこそ、今もネットワークの重要性を身に染みて感じていますし、キャリアのほとんどはその縁が運よく、タイミングよく訪れたおかげで成り立っていると思っています」
●プロフィール
新川諒(しんかわ・りょう)
1986年生まれ 大阪府出身。2歳から小学6年までシアトル、ロサンゼルスで過ごす。同志社国際高を経て、州Baldwin-Wallace Univeristy(米国・オハイオ州)大学在学中にクリーブランド・インディアンズで広報インターンを経験し、卒業後にボストン・レッドソックス、ミネソタ・ツインズ、シカゴ・カブスで合計5年間日本人選手の通訳を担当。2017年からMLBシンシナティ・レッズのコンサルタント、2020年2月からはNBAワシントン・ウィザーズでマーケティング部のデジタルチームで日本語コンテンツを担当。その他、フリーランスとしてさまざまなフィールドで活躍している。