2008年にMLBクリーブランド・インディアンスの、メディアリレーションズ部のインターンとしてキャリアをスタート。通訳、ライターをはじめ、NBAワシントン・ウィザーズの日本向けマーケティングマネージャー、MLBシンシナティ・レッズのスカウティングコンサルタントを務めるなど、日米で幅広く活躍する新川諒氏。いったいどのようにして新川氏はこの仕事を始めたのか。「ワクワクする仕事をしたい」と語る彼の生きざまに迫る。
◆需要とマッチしスタートした“通訳”のキャリア
―スポーツビジネスの世界を目指したきっかけを教えてください。
「もともと小学生時代をアメリカで、中高を日本で過ごし、大学を選ぶにあたって自分の好きなことはなんだろうと考えたときに、スポーツに関わることが浮かびました。当時はまだ日本に、スポーツマネジメントを学べる大学が少なく、アメリカではそのときから学問として成立していました。また、自分が帰国子女ということもあり、アメリカの大学が選択肢に入ってきました。ただ、そのときはまだ『スポーツに関わる仕事』をしたいという漠然的なイメージでした」
―どのようにして、MLBの通訳になったのでしょうか?
「私はクリーブランド近辺の大学に通っていて、ちょうどクリーブランド・インディアンス(現・ガーディアンズ)に日本人選手が入団することになりました。“これはチャンスだ”と思い大学関係者や球団にメールを送ったのですが、それが運よく広報部長まで転送されていったそうです。メールをしたとき、交換留学でイギリスにいたので、電波が切れないようにと不安になりながら電話をして、『帰ったらアメリカで会おうよ』と言われ、インターンに参加できることが決まりました。ただ、日本人として海外で働くためにはビザの壁があります。自分がアメリカのスポーツ業界で生き残っていくためには『何が必要なのか?』、『どこにニーズがあるか?』などを考えたときに、まず入口に立つためには『日本人選手がいるところにニーズが生まれる』というアプローチに行き着きました。特別な才能や技術があるわけでない22歳の新卒ですから、自分が提供できるバリューは『日本語と英語のバイリンガル』ということになります。そのときにちょうど日本人メジャーリーガーが多かったことで、需要とマッチし“通訳”としてのキャリアがスタートしました。
ー初めて通訳の仕事を行なって、苦労したことなどはありましたか?
「さまざまな役割を持つ通訳としての業務の1つに、選手とのキャッチボールもありました。野球経験がないなかで、私の記憶上、人生初のキャッチボール相手がメジャーリーガーとなりました。投球フォームがバラバラの中、多くのメジャーリーガーに投げ方を教えてもらいましたね」
第2回目に続く
新川諒(しんかわ・りょう)
1986年生まれ 大阪府出身。2歳から小学6年までシアトル、ロサンゼルスで過ごす。同志社国際高を経て、州Baldwin-Wallace Univeristy(米国・オハイオ州)大学在学中にクリーブランド・インディアンズで広報インターンを経験し、卒業後にボストン・レッドソックス、ミネソタ・ツインズ、シカゴ・カブスで合計5年間日本人選手の通訳を担当。2017年からMLBシンシナティ・レッズのコンサルタント、2020年2月からはNBAワシントン・ウィザーズでマーケティング部のデジタルチームで日本語コンテンツを担当。その他、フリーランスとしてさまざまなフィールドで活躍している。