2008年にMLBクリーブランド・インディアンスの、メディアリレーションズ部のインターンとしてキャリアをスタート。通訳、ライターをはじめ、NBAワシントン・ウィザーズの日本向けマーケティングマネージャー、MLBシンシナティ・レッズのスカウティングコンサルタントを務めるなど、日米で幅広く活躍する新川諒氏。いったいどのようにして新川氏はこの仕事を始めたのか。「ワクワクする仕事をしたい」と語る彼の生きざまに迫る。
◆渡米から1カ月でコロナが蔓延。自身を“試される状況”に。
―NBAの“通訳”の仕事からどのようにして他の仕事に派生していったのでしょうか?
「帰国子女でアメリカの大学に通い、職歴が通訳だけとなると、日本でやっていけるのか、日本語は大丈夫なのかという見え方をされてしまうことがあります。そんな中、さまざまなご縁から、NHK放送局でのスポーツ中継に関わるお仕事があったり、ライターの仕事をしたりと、自らを“日本人化”する仕事の機会がありました。当時NHKが、アメリカのスポーツ中継にすごく力を入れていたこともあり、それに関わる通訳として、フリーランスのキャリアをスタートすることができました。また、外資系企業が母体となっていたDAZNが日本でのサービスを開始する際にマーケティング部のローカライゼーションを担う立場で関わり、新規事業の立ち上げを見る経験もできました。野球関係の仕事では、2017年のWBCにMLBから派遣される広報メンバーの一員として参加することもできました。このように多くのご縁とタイミングからチャレンジする機会を得ることで、自分の中で出来ることが少しずつ増えていったというイメージです」
―さまざまなポジションでお仕事をされていると思いますが、日本人として大変だったことはありますか?
「海外の組織に在籍していると、社内には日本人はそこまで多くなく、ひとりの場合もあります。そうなると、社長から『日本ではどうなの?』と聞かれる対象が自分になるんです。そういう意味では責任も出てきますし、いろいろな質問に対し、的確に答えていかないといけません。ただ逆に『日本にはこんな面白いことがあるんだよ』ということを伝える役割もできるなと思っていましたね」
―NBAワシントン・ウィザーズの日本向けマーケティングマネージャーとして仕事をされるようになり、印象的な出来事などはありますか?
「2020年2月にワシントンDCに飛び、ワシントン・ウィザーズでの仕事がスタートしたのですが、渡米から1カ月でコロナが蔓延し、家から出られないという状態になりました。その時点から“試される状況”となりました。試合はなく、選手とも接触ができない中で、どうやったら日本のファンの人たちにコンテンツを届けることができるかということをすごく考えさせられる時間でしたね」
―“ウィザーズ”を日本人にとって身近なクラブとするために、どんなことに取り組まれたのでしょうか?
「全国に『ワシントン・ウィザーズ』を応援してくださいと発信することは簡単ですが、“日本でのホームタウン”をつくるのも必要だと思っていました。そこで八村塁選手が富山県出身ということで、アプローチするのを富山県に絞り、地元Bリーグクラブの富山グラウジーズの試合に行き、コンテンツをつくったり、さらには当時の市長に表敬訪問させていただく機会もありました。また、バスケットボールという角度だけではなく、違った角度からもタッチポイントをつくっていきたいと思いました。その1つがアートです。ウィザーズを長く応援してくださっているグラフィックデザイナーの方がいて、その方とコンテンツを制作し、チームが来日した際には、彼女から選手へ絵を渡すストーリーを一緒に描くことが出来ました。この取り組みを動画にして、SNSで配信していくことで、『日本にもウィザーズを応援してくれる熱烈なファンの方がいるよ』ということをワシントンDCの方々にも知ってもらうきっかけにできたと思っています」
第3回目に続く
新川諒(しんかわ・りょう)
1986年生まれ 大阪府出身。2歳から小学6年までシアトル、ロサンゼルスで過ごす。同志社国際高を経て、州Baldwin-Wallace Univeristy(米国・オハイオ州)大学在学中にクリーブランド・インディアンズで広報インターンを経験し、卒業後にボストン・レッドソックス、ミネソタ・ツインズ、シカゴ・カブスで合計5年間日本人選手の通訳を担当。2017年からMLBシンシナティ・レッズのコンサルタント、2020年2月からはNBAワシントン・ウィザーズでマーケティング部のデジタルチームで日本語コンテンツを担当。その他、フリーランスとしてさまざまなフィールドで活躍している。