昨季、深刻な得点力不足に泣いたカープ打線。今季、打線強化で期待され入団したのが新外国人選手のファビアンとモンテロだ。
揃って開幕スタメンでスタートしたが、モンテロは開幕直後に負傷離脱。一方のファビアンはここまで(5月10日時点)全試合に出場して3・4月は打率.313をマーク。5月に入るとさらに調子を上げ、10日のDeNA戦までに5試合連続マルチ安打、打点と絶好調だ。昨季2人の外国人野手が揃って活躍できなかっただけに、カープ打線に変化を与える存在としてファビアン、そして一軍復帰を目指すモンテロにはさらなる期待がかかる。ここではカープ初優勝以降、印象的な活躍を見せた外国人スラッガーを振り返っていく。
◆1975-1976「初優勝を引き寄せた3ラン」
ゲイル・ホプキンス
<247試合、打率.289、53本塁打、160打点>
カープの歴史を変える一発を放ったのがホプキンスだ。1975年10月15日の後楽園球場(巨人戦)。わずか1点リードの8回に初優勝をグッと引き寄せる3ランをライトスタンドに突き刺した。値千金のこの一発はカープ歴代助っ人の中でも印象度は高い。同年の打率は.256に終わったものの、33本塁打、91打点と勝負強い打撃を見せ初優勝に大きく貢献した。
◆1977-1979「球団外国人初の40本塁打」
エイドリアン・ギャレット
<384試合、打率.260、102本塁打、247打点>
歴代助っ人の中でホームランでファンを沸かせたのがギャレットだ。1978年にカープ外国人初の40本塁打を記録するなど、ギャレットが描くアーチは広島名物ともなった。在籍3年で102本塁打を記録した、カープ史に残るホームランアーティストだった。
◆1977-1982「球団外国人最多の764試合出場」
ジム・ライトル
<746試合、打率.288、155本塁打、491打点>
在籍年数がチームへの貢献度を表す。外国人選手ではエルドレッドに次ぐ長さとなる6年在籍したのがライトルだ。1978年から4年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞した守備力だけではなく、シュアな打撃で何度もチームを勝利に導いた。外国人最多となる764試合に出場し、長打力は同時期に在籍したギャレットの影に隠れていたが、スラッガーとしても十分評価できる数字を記録している。
◆1996-1997、2000-2002「2年連続打点王」
ルイス・ロペス
<575試合、打率.305、112本塁打、442打点>
1996年、1997年に2年連続打点王に輝くなど勝負強い打撃を売りに、江藤智、前田智徳らと“ビッグレッドマシン”を形成したのがロペスだ。来日直後の春季キャンプで山本一義打撃コーチの指導を素直に受け入れるなど、日本式を取り入れる柔軟性がカープ史に残る名助っ人を生み出したと言える。
◆2004-2005「強打者の証、球団最多の23死球」
グレッグ・ラロッカ
<202試合、打率.319、58本塁打、157打点>
死球の数は強打者の証。今なお球団記録となっている23死球だけではなく、2007年にはオリックスで日本記録となる28個の死球を記録している。打力は来日当初はあまり期待されていなかったが、開幕から打ちまくり来日1年目に打率3割、40本塁打、100打点をクリア。翌年には故障に泣きカープを退団したものの、その後はヤクルト、オリックスと日本球界を渡り歩き、非凡な打撃を見せ続けた。
◆2012-2018「球団外国人で最長の7年在籍」
ブラッド・エルドレッド
<577試合、打率.259、133本塁打、370打点>
2012年はシーズン途中の加入ながら、65試合の出場でチーム2位となる11本塁打をマーク。2014年には三振に関する球団記録を軒並み更新するも、尻上がりに状態を上げ自身初の打撃タイトルとなる本塁打王(37本)を獲得した。2016年からは強力打線の一角としてリーグ3連覇に大きく貢献し、在籍7年はライトルの6年を超えて球団最長。2019年9月に現役引退を発表し、現在はカープの駐米スカウトを務めている。