1993年の創刊以来、カープ、サンフレッチェを中心に「広島のアスリートたちの今」を伝えてきた『広島アスリートマガジン』は、2025年12月をもって休刊いたします。32年間の歴史を改めて振り返るべく、バックナンバーの中から、編集部が選ぶ“今、改めて読みたい”記事をセレクト。時代を超えて響く言葉や視点をお届けします。

 第2回目の特集は、カープ歴代監督のインタビューセレクション。

 広島東洋カープを牽引してきた歴代の監督たち。その手腕や采配の裏には、揺るぎない信念とカープへの深い愛情があった。ここでは、広島アスリートマガジンに過去掲載した監督たちのインタビュー、OBによる証言を厳選。名場面の裏側や選手との関係、勝利への哲学など、時代を超えて語られる言葉の数々をお届けする。

 2015年、野村謙二郎監督のあとを受けて就任したのが、現役時代にカープ伝統の機動力野球を体現し、『赤ヘルを知り尽くす男』と言われた緒方孝市だった。前年3位に終わったチームに、新指揮官はどんな改革をもたらし、どんな変化を与えようとしたのか。緒方カープ1年目のシーズン、新監督が語っていた言葉をお届けする。(『広島アスリートマガジン2014年12月号』掲載記事を再編集)

監督就任会見の様子。のちに、球団史上初の『三連覇』へチームを導いた

監督受諾まで、時間はかからなかった

—— まず、監督要請を受けた段階で、どのような思いを持たれましたか?

緒方 最初にお話をいただいたのは、クライマックス・シリーズが終了した2日後でした。正式に要請を受けたとき、カープには素晴らしい先輩方が多くいるなかで、正直言って「自分が監督というポジションでやっていいものなのか?」という思いが自分のなかにありました。

—— 決断に時間はかかりましたか?

緒方 時間はかかりませんでしたね。正式要請を受ける前に「(監督就任を)受ける気持ちはあるか?」と球団から聞かれたことがあったので、正式な場所ですぐに返事をさせていただこうと思っていました。

—— コーチとしての5年間は、緒方監督にとってどのような時間だったのでしょうか。

緒方 現役引退するとき「優勝できるチームになれるんだろうか?」という思いを持っていました。そしてコーチとしてそのままユニホームを着続けてきたわけですが、野村(謙二郎)前監督が厳しい指導をするなかで、監督の手助けをしながら「絶対にこのチームを強くして、毎年優勝争いするチームにしなければならない」と常に思ってきました。その延長で監督就任という話をいただき、「この選手たちを鍛え続けていけば、優勝できるチームになる」と思っていますし、「自分がやってやろう」と思い、最終的に監督を引き受ける決断に至りました。

—— 就任会見では、理想の監督像として三村敏之元監督の名前を口にされていました。

緒方 私が現役時代、三村監督の時代は毎年優勝争いをするチームでした。選手起用にしても作戦にしても、チームが勝つためにいろいろな厳しい決断をする姿を見てきました。三村さんのような采配で思い切ってやれば、勝てるのではないかという意味もあり、三村さんを理想の監督像と言わせていただきました。