2025年、カープファンからの注目を集めた選手のひとりが中村奨成だ。入団以来大きな期待を背負いながらも、結果を出せず苦しんできた。キャリアハイの数字を残した中村奨の飛躍のきっかけとヒントを与えた福地寿樹二軍打撃兼走塁コーチに、その舞台裏を聞いた。(全2回/第1回)

プロ8年目にして、大きく飛躍した中村奨成

素質は素晴らしい。けれど、どこか中途半端に見えていた

 (中村)奨成が入団した当時、私はヤクルトでコーチをしていました。対戦相手として見ていた奨成は『足が速く打撃も良い非常にポテンシャルの高い捕手』という印象でした。2023年にカープの二軍打撃兼走塁コーチに就任して同じチームとなりましたが、彼が捕手から外野手へ登録変更されたのもその年です。正直なところ、当初はプラスの印象は全くありませんでした。シーズンオフにいきなり彼は「肩が痛い」と言い出しました。『これからキャンプが始まるというのに、オフに何をしていたんだ……』と。そこからのスタートでした。

 素質としては素晴らしいものを持っているのに、話をすると全てが中途半端な選手なのだという印象は拭えませんでした。中途半端というか、『自分で納得してしまう』部分があるように感じました。二軍では結果が出るので、『これでいける』という感覚があったのでしょう。でも、一軍に呼んでもらうと結果が出ない。当時の奨成は、その繰り返しでした。

 私は選手の取扱説明書をつくっていくのが好きなので、指導をする選手たちの私なりの『トリセツ』をつくっていました。この選手にはこういう伝え方が良い、この子にはこう話をすると伝わる……という風に、相手によって考え方や伝え方を変えて接してきました。当時の奨成のトリセツに関して言えば、『この選手はまだ腹のなかで思っていることを出せていない』というのが印象でした。あの頃の彼は、怒られてばかりでした。もちろん自業自得という面も大いにありますが、周りからもファンからも、ことあるごとに『何をやっているんだ……』と言われていました。

 年々、彼は厳しい立場に追い込まれていきました。少なくとも、周りで見ている私にはそう感じられました。そうした状況を、周りが気づかせようとしましたが、奨成はわかっているようでありながら、核心の部分ではまだ納得し切れていないように見えたのです。背番号を重くする、ドラ1だと言われるけれど、そんな扱いはしない……と何度も伝え、こちらとしても、甘やかさない、けれどチャンスは与えるというスタンスで接することにしました。

 そのうちに、本人がインタビューなどで「今年が最後。後がないと思っている」という言葉を口にするようになりました。私は『彼が自らその言葉を発するようになった、その時こそがチャンス』だと思っていました。自分から発信することで、本当に自分自身を窮地に追い込むことになると思っていたからです。そして私のなかのトリセツでは、彼は追い込まれたほうが力を発揮するタイプだと捉えていました。逆境を跳ね返す反骨心をもともと持っている選手ですから、それが良い方向に影響したのだと思います。

(後編へ続く)