1975年の初優勝以来、カープ黄金期を築いたレジェンドOBたち。往年の名選手が、現役時代の思い出やカープへの熱い思いを語った『広島アスリートマガジン』連載記事を再編集してお届けする。

 『精密機械』と称されるコントロールで、球団史上初の200勝投手に輝いた北別府学氏が、「念願だった」と語る20勝シーズンを語ったエピソードを紹介。悲願達成の裏側にあった存在、そして11年連続の二桁勝利を名投手が振り返る。

1982年シーズンには、沢村賞、最優秀投手、ベストナインに輝いた北別府学氏

◆当時は中4日で登板。月間4勝を目指していた

 私はプロ入りする時に「3年で結果が出なければ、野球をやめて田舎に帰る」と母に宣言した。その最後の年に2ケタという結果を出せた事で、「これで俺は何とかこの世界で食っていける」と、自分でようやく確信を持つ事ができた。

 1979年には17勝を挙げて、チームは4年ぶりにセ・リーグ優勝を果たした。この年の最も大きな思い出は、近鉄と対戦した日本シリーズの第1戦に先発させてもらった事である。私はシーズン中では考えられないくらい緊張して、舞い上がってしまった。そして1回裏の先頭打者平野光泰さんの打球を、ショートの高橋慶彦さんがエラーしてしまうと、平常心でない私はそこから近鉄打線につかまり先制を許して、敗戦投手となった。

 私も高橋さんも日本シリーズという大舞台はお互い初体験だったから、二人とも舞い上がってしまったのだろう。カープはこの年と翌1980年の2年連続で近鉄を4勝3敗と下し日本一になったが、私はその試合以降2年ともリリーフのみの登板に終わった。

 1978年から10勝、17勝、12勝、16勝と4年連続で2ケタ勝利を挙げた私は、1982年のオープン戦での遠征先で、古葉監督から開幕投手に指名された。開幕戦は地元広島市民球場での中日戦だったが、雨で1日順延となって4月4日 に行われた。私はそのままスライド登板して、中日の開幕投手である小松辰雄に投げ勝ち7ー0で完封。開幕戦での完封勝利は、長谷川良平さん、池田英俊さんに続いて3人目で、初の開幕投手での完封勝利はカープ史上初であった。

 私はこの開幕戦から6月26日の阪神戦(甲子園)で敗戦投手となるまで、11連勝を達成した。自分が競争するライバルは、最多勝争いに毎年参加する中日の小松や遠藤一彦さん、江川卓さんや西本聖さんなど他球団のエースだと思うようになった。

 当時、私達先発投手は通常は中4日で登板していたので、平均して1ヵ月間に6試合先発する事になる。この頃は20勝が最多勝利のタイトルを獲得する目安だったので、そのためには平均すると1ヵ月間に4勝する事が必要となる。ただし早々と4勝できたとしても、次月以降何かの事情で勝てなくなる事もあるかもしれないので、残りの登板で貯金を作っておくつもりで気を抜くことなく、毎回の登板に臨んでいたように思う。

 20勝というのは、私にとっては先発投手としての大きな目標だった。私が入団した当時は金城さん(1974年)、外木場さん(1975年)、池谷さん(1976年)、高橋里志さん(1977年)と4年連続で20勝での最多勝利投手を輩出していたので、自分が先発投手陣の中心になった1979年以降は、年間20勝を一つのテーマとして臨んでいた。

 オールスターまでの前半戦で13勝1敗だった私は、10月10日の中日戦(広島)で完投勝利を挙げて、ついに念願の20勝を達成。

 最多勝利投手と最優秀投手(ベストナイン)、そして先発投手として最も栄誉のある沢村賞を獲得した。カープからは1975年の外木場義郎さん、翌1976年の池谷公二郎さん以来3人目のことだった。

 入団7年目、25歳となったこの年は真っ直ぐのスピードもまずまずあったし、スライダー、シュート、カーブの変化球もよく切れていて、コントロールも良く思い通りのピッチングが出来たように思っている。さらにこの年のオフに同じ鹿児島県出身の女性と結婚が決まっていた事も大きかったように思う。

 婚約する前から「20勝したら結婚しよう」という話をしていた事もあって、「この年は何としてもタイトルを獲得して、結婚を飾りたい」という気持ちの張りは確かにあった。

 そして開幕戦から2試合連続完封とスタートが良かった事で、そのまま波に乗って20勝につながったのではないかと思っている。もしも逆に開幕からなかなか勝てずに出足でつまづいていたら、焦りも出てしまってこのような素晴らしい結果にはまずならなかっただろう。

 しかし翌1983年は、12勝13敗と負け越しに終わった。267イニング余りを投げた前年の疲れが残っていたのか、変化球・真っ直ぐとも本来のキレはなかなか出なかった。コントロールの面ではまだまだ成長途上で、どちらかと言えば球自体のキレや力で抑えていたのかも知れない。身体的には投げる右側ではなく左側の肩が痛くなって腕がなかなか上がらなかった。人間の手足は左右均等に付いているわけだから、均等に使わない事にはいいボールも投げられないし、コントロールもできないのである。

(第5回へ続く)

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