2026年11月、『第2回 世界ろう野球大会』が神奈川県で開催される。2024年台湾で開催された『第1回 世界ろう野球大会』で優勝を果たした日本代表は、2大会連続優勝を目指し日々励んでいる。
難聴というハンデを抱えながらも、『プロ野球選手』という夢に向かい、世界への挑戦を続けてきた中島祐次氏。米国独立リーグや国内の様々なクラブチームを渡り歩いてきた彼はいま、『ろう野球』日本代表の選手兼任コーチとして、新たなステージに立っている。世界選手権連覇を目指すチームのため、ろう野球の未来を切り拓くため、終わらない挑戦を続ける中島氏の生き様に迫る。
◆聴者と分け隔てない、熱い指導者との出会い
中島氏の野球人生は、高校球児だった父親の影響で始まった。 東京都文京区の『駒込チャイルド』に入部し、添田勝久監督や飯塚省二コーチから、聴者と分け隔てない熱い指導を受けた。「野球の楽しさを知った」という小学生時代に、遊撃手として都ベスト4進出や選抜チームへの選出を果たし、選手としての強固な基礎を築き上げた。
その後、城西リトルシニア、石神井ろう学校、国際武道大へと進み、社会人クラブチームや独立リーグを経て、ついには海を渡りアメリカへ。聴者の選手でさえ困難と思われる道を選び続けたその背景には、周囲の環境と、彼自身の尽きせぬ向上心があった。
「たまたまなのか、自分の周りにプロ野球選手になった人、野球で食べている人など、活躍している選手が多くいました。たくさんの刺激を受け、『上のレベルへ進んだチームメートに負けたくない』という思いが、自分自身も上へと挑戦するきっかけになりました」と、高いレベルに身を置く仲間たちの存在が、彼を『プロ野球選手』という夢に向かって突き動かしたのだ。
ろう野球協会の発足により、ろう者が『ろう者』として硬式野球に打ち込める環境が整った。 様々な環境でプレーしてきた中島氏は、聴者のチームとろう者のチーム、それぞれの『野球』についてこう語る。
「それぞれに違った楽しさがあると思います。違うことといえばコミュニケーション手段だけで、本質は変わりません。実力があれば必要とされる。どっちの世界にいても選ばれる存在になれるよう、日々技術を追求するのみです」
また、ろう野球ならではのポイントもある。ろう野球日本代表には、聴覚障害を持つ選手が集まるが、コミュニケーションの手段は様々だ。手話でのコミュニケーションが一般的ではあるが、聴力や生育環境に個人差が大きい。「互いに理解できる方法を探し、互いに歩み寄ることが大切」と語る。そして「きこえないからできないではなく、どうすれば伝わるか。そのプロセスこそがチームの絆を深めている」とも言う。
◆コーチとして伝えていきたいこと
現在は選手兼任コーチとしてチームを牽引する中島氏 。ベテランと呼ばれる年齢になり、指導者としての役割も期待される中で、彼が最も大切にしているのは『姿勢』だ。
「コーチとして自信があるわけではありませんが、常に学ぶ姿勢を忘れないようにしています。選手としてプレーし続けることが正しいのかはわかりませんが、自分自身が野球に対して真摯に向き合う姿を見てもらうことで、良い影響になればと思っています」
コーチとして、細かな技術よりも、選手たちには楽しくやってほしいと願う一方で、自らがグラウンドで体現することをミッションとしている。これまで培った野球の知識を惜しみなく伝え、ろう野球界全体の底上げに貢献したいという想いは熱い。
日本代表として直近の目標は、「2026年大会で日本を連覇に導くこと」と語る。強豪国として警戒される中、世界各国の想像を超えるプレーを見せることが使命だ。 そして、もう1つは『デフリンピックの正式種目追加』という目標も見据える。しかし、中島氏にとってそれは『ゴール』ではない。
「夢というより、ゴールはまだまだ先だと考えています。選手として、いつかのゴールまで漕ぎ続ける、止まらない、それだけです」
彼が目指すのは、自身の活躍が『ろう者の希望』になることだけではない。『きこえる、きこえないに関係なく、誰もが挑戦できる』と多くの人が感じる“きっかけ”になることだ。
「自分自身が見てきた景色を、どんどん若い人たちに見てほしい、挑戦してほしいです。常に向上心を持ってほしいと思っています」
終始笑顔で語った中島氏。明るく陽気なチャレンジャーは、ろう野球を連覇へ、そしてまだ見ぬ新しい景色へと導いていく

