1975年の初優勝以来、カープ黄金期を築いたレジェンドOBたち。往年の名選手が、現役時代の思い出やカープへの熱い思いを語った『広島アスリートマガジン』連載記事を再編集してお届けする。

 1976年のプロ入りから現役引退まで、カープ一筋で腕を振り続けた北別府学氏。『精密機械』と称されるコントロールで球団史上初の200勝投手に輝いた名投手は、1994年、現役引退を発表した。選手晩年は右肘の故障に苦しんだ北別府氏が、引退を決めたその理由、そして最後のマウンドを回顧する。(全8回/最終回)

野球解説者、投手コーチとしても多くのカープファンに愛された。

◆王貞治との真剣勝負がラストマウンドに。語っていたファンへの思い

 最後の一球を披露する事なくユニフォームを脱ぐ形となった私のために、カープ球団は翌1995年の公式戦開幕前に、改めて引退試合を開催してくれた。3月12日の福岡ダイエー(現ソフトバンク)とのオープン戦で、始球式を務める事になったのだ。しかも打席には、ダイエーの王貞治監督が入ってくれるのである。そして普通の始球式と違って、決着がつくまで何球でも投げるという『真剣勝負』ルールで行うことになった。

 私は背番号『20』のユニフォームを着て、約半年ぶりに広島市民球場のマウンドに立った。

 実に15年ぶりの対決となった王さんとの勝負だったが、初球は一本足打法で打ち返された大ファールで、2球目はボール。そして3球目はまたも王さんにライナーで弾き返されたが、ライトがしっかりと捕球してくれた。その瞬間、スタンドからは大きな拍手が湧き起こった。私はお礼を言いながら、王さんとがっちり握手をした。

 そしてこの年から評論家として第二の野球人生を歩み始め、地元局でのカープ戦中継をメインに、カープ戦以外の全国中継も担当した。6年間の評論家生活は、野球というスポーツを今までとは別の様々な角度で見る事ができた分、大変勉強となったと思う。その間で身につけた事を、指導者として活かそうと思った。

 2001年、私はカープの一軍投手コーチに就任し、7年ぶりにユニフォームを着ることになった。

 コーチとしての4年間、選手達には投げ込みを増やす事と、内角を攻める事を意識して伝えてきた。ただ完全燃焼できたかと言えば、決してそうではない。カープに限らず最近の若い投手がなぜコントロールが悪いのかを考えると、結局ブルペンでの投げ込みが不足して、理想的なフォームを固められないからではないだろうか。肩やヒジの消耗を抑えてウエイトトレーニングを多く取り入れた練習方法も普及してきたが、ピッチングの技術を上げるためには、やはりしっかり投げ込むべきなのだ。

 カープに対しては、やはり『勝つ野球』をファンに見せてほしいと思っている。選手一人一人が自分の置かれた役割や立場を全うして、少しでも自分の成績を上げていく事が大切だ。それがチーム全体として勝ち星を増やし、成績を上げていくことにつながると思っている。

 ファンの皆さんには、「現在のカープは昔の強かった頃とは違う」事を十分に理解してほしいと願っている。長い低迷に厳しいご意見をお持ちの方も多いが、たる募金などの『おらがカープ』というサポートは、選手にとって間違いなく力になっているので、これからも熱烈な声援をお願いしたいと思っている。

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