カープがリーグ優勝を果たした1991年。大野豊は、親しくしていた後輩の津田恒実との別れを乗り越え、絶対的な守護神として君臨していた。そして迎えた優勝決定試合で、大野は過去最高の投球を見せることになる。“投手王国”の一角としてシーズンを投げ抜いた左腕に、今も鮮明に残る当時の思い出を語ってもらった。

8回途中から登板し、最終回は三者連続三振という最高の結果で1991年のリーグ優勝を決めた大野豊氏。

 現役時代はシーズンによって投げる球種を変えていましたが、1991年に使っていた球種はストレート、スライダー、チェンジアップだけ。一球のミスも許されないリリーフだからこそ自分のなかで自信のある球を上から順番に選択して、それで勝負していくという形をとりました。

 リーグ優勝を決めた日は地元・広島市民球場で阪神とのダブルヘッダーが組まれていました。初戦は延長で敗北し、二戦目に臨む前に浩二さんから「最後はお前で頼むぞ」と言われたのですが、当時のカープ打線はなかなか得点を奪うことができなかったこともあり(苦笑)、「監督、10対0でお願いします」と言ったことを覚えています。実際はどうなったのかといえば、リードは初回に取った1点のみ。投手にとっては一番苦しい展開となりました。

 そして8回に佐々岡(真司)が内野安打で走者を出したタイミングで浩二さんがマウンドに向かいました。その時点では続投が決まっていたようでしたが、浩二さんがベンチに戻るとき、捕手の達川(光男)に「佐々岡、大丈夫か?」と聞いたら「いや、ダメです」と返されたそうです。そこで急に私のリリーフ登板が決まったそうです(笑)。

 おそらく達川の頭のなかには打者が左打者であるオマリーだった分、長打を警戒する気持ちがあったのでしょう。私といえば「優勝を決める試合で1対0なんて勘弁してくれよ」と思いながら試合を見ていましたが、いざ出番がくるとやってやろうじゃないか、という気持ちになっていました。私はオマリーが初球、スライダーをハーフスイングした反応を見た時点で、これはいけると確信しました。結果、オマリーを三振、次打者の和田をダブルプレーに打ち取る最高の結果で切り抜けました。和田への投球は、普段クイックで投球をしない私がクイックで投げた分、タイミングをずらすことができたのでしょう。

 そして、そのまま9回のマウンドにあがりましたが、今振り返ると優勝を決めた最終回は、極限の集中力に包まれ、投球に入り込んでいました。いわゆる〝ゾーン〟というものでしょうか。周りが見えていないわけではないのですが、今まで味わったことのない打者と対峙する感覚を味わったことを鮮明に覚えています。あれが22年間のなかで最高の投球だったかもしれません。

 結果は三者連続三振を決め、胴上げ投手になることができました。マウンドで飛び上がって捕手と抱きつく、そしてみんなが寄ってきてワイワイ騒ぐという、あの憧れのシーンの中心に自分がいることができたことがうれしかったです。達川とは同い年で若い頃から一緒に成長しような、と互いに声をかけあってきた仲です。彼に捕手としてその瞬間の球を受けてもらうことができたのは、最高でした。現役生活では5回の優勝を経験することができましたが、地元での優勝ということもあり一番印象に残っている優勝です。またカープだけが経験した“グラウンドでのビールかけ”は格別でしたね。