◆気持ちは通じる。心は伝わる

 気持ちは通じる……。心は伝わる……。九州一のスラッガーはカープに入団し、初優勝に貢献した。引退後はスカウトとして、金本知憲、江藤智、黒田博樹、嶋重宣、永川勝浩らをプロの世界に導いた。半世紀前の出来事は、苑田のスカウトとしての土台となっている。

「スカウトとして、ある程度久野さんを真似している部分はありますよ。一生懸命やる。熱心に見る。誠心誠意で交渉に臨む。言葉数は少なくても、思いは通じます。久野さんは、もの静かなタイプの人でしたが、思いが伝わってきましたから」

 そもそも、苑田は人と話すのが得意ではなかった。

「九州弁と広島弁が交じっていて、人と喋るのが苦手でした。古葉(竹識)監督に、スカウトになるとき、相談したくらいですよ。久野スカウトを思い出すことはありますね。あれだけグラウンドに通ってもらいました。あの人はニコニコして何も言わない分、笑顔が印象に残っています。自分も、『コレだ』と思ったら、足で通うことを心がけてきました」

 久野スカウトの笑顔が、苑田のスカウトとしての原点である。そして、そのスタイルがカープの伝統になっている。

「選手に惚れろ」

 70歳代になったベテランスカウトは後進たちに口を酸っぱくして言う。惚れれば、その選手に会いたくなる。グラウンドにも通う。通えば通うほど、良いところが見えてくる。思いは通じる。かつて、久野の熱意が苑田に通じたように。苑田の心が黒田に通じたように。ファンや球団の気持ちが、黒田に通じたように。

『男気』と称される黒田のカープ復帰のドラマは、突然発生したものではない。苑田の話に耳を傾ければ傾けるほど、幾度となくあった『心が通じるドラマ』が、カープをつくりあげていたことが見えてくる。

●苑田聡彦 そのだ・としひこ
1945年2月23日生、福岡県出身。三池工高-広島(1964-1977)。三池工高時代には「中西太2世」の異名を持つ九州一の強打者として活躍し、64年にカープに入団。入団当初は外野手としてプレーしていたが、69年に内野手へのコンバートを経験。パンチ力ある打撃と堅実な守備を武器に75年の初優勝にも貢献。77年に現役引退すると、翌78年から東京在中のスカウトとして、球団史に名を残す数々の名選手を発掘してきた。現在もスカウト統括部長として、未来の赤ヘル戦士の発掘のため奔走している。