◆9球団からオファー。苑田氏が選んだ球団は…

 当時の九州で『プロ野球と言えば西鉄』というのは自然の流れであった。だがプロ野球界から苑田に対する注目度は高く、実は9球団からオファーがきていたのである。そのなかから彼は、「広島カープにいきたい」と思うようになった。明確な理由はなかった。当時は自由競争の時代。後に聞けば、9球団のなかで、契約金や年俸は一番低かったという。

 カープファンでもなかった。広島という土地に縁があったわけでもない。カープの選手の名前すら知らなかった。年俸、契約金は9球団で一番低かった。苑田自身も、なぜカープを選んだのか明確な理由を見つけることができない。

「自分でも不思議です。契約金や年俸を聞いて決めたわけではありません。原監督も『本当にそれでいいのか』と驚いていました。でも、直感でカープでした。結果的に、自分が希望した球団の契約金や年俸が一番低かっただけです」

 不思議な話だ。「お金が必要で、親孝行がしたい」とプロ野球の世界を志した青年が、お金だけで進路を決めなかった。『直感』で自らの運命を託すチームを決定したのである。ただ、その決断には理由がある。あるひとりのスカウトの誠意が苑田に通じていたのだ。カープの久野久夫スカウトの存在である。

 彼は、紳士帽にスーツ姿で三池工高のグラウンドに足を運んでいた。苑田自身は、彼をカープのスカウトとは認識していなかったが、不思議とその紳士に好感を持っていた。この男の存在が苑田のカープへの入団を決定づけた。

 久野は、自分から選手に声をかけてはこなかった。ただ黙々と練習を見つめている。練習や試合となると、連日のように姿を見せた。言葉数が多そうでもない。ただ一生懸命に球場に通い詰めていた。当時、久野と挨拶以外の言葉を交わした記憶はない。しかし、あの帽子にスーツ姿のかっこよさは鮮明に記憶している。苑田は当時を振り返りながら、語気を強める。

「なにか、久野スカウトの思いが私に通じたような気がしてなりません。カープと決める前に、久野さんと会話をしたわけではありません。でも、何となく、カープにいきたいと思ったのです」