カープは現在、9名のスカウトが逸材を発掘するために全国を奔走している。そのスカウト陣をまとめているのが、苑田聡彦スカウト統括部長だ。苑田スカウトはかつて勝負強い打撃でカープで選手として活躍し、初優勝にも貢献。引退直後の1978年から現在までスカウトとして長年活動を続け、黒田博樹を筆頭に数々の逸材獲得に尽力してきた。

 本記事では、書籍『惚れる力 カープ一筋50年。苑田スカウトの仕事術』(著者・坂上俊次)を再編集し、苑田聡彦氏のスカウトとしての眼力、哲学に迫っていく。

1996年ドラフト2位でカープから指名された黒田博樹。

◆ 黒田博樹獲得のために、苑田はグラウンドに通い詰めた

 まだ全国的な注目を集める選手ではなかった。当時大学2年生、公式戦で目にすることも少ない。スカウト仲間に尋ねてみても、高校時代は控えの投手だったらしく、情報もなかった。しかしベテランスカウトは、その投手の背中から独特の雰囲気を感じ取っていた。

「後ろ姿でしたね。だいたいスターの素質がある選手は、後ろから見ただけでちょっと違います。映画や歌手のスターと同じで、パッとひと目見たら分かりますね」

 後に、カープのエースとなり、米大リーグで79勝をマーク。2015年、20億円ともいわれるオファーを断ってカープに復帰し、日本中に感動と驚きを与えた黒田博樹の大学時代の話である。

 練習で行うランニングの迫力、キャッチボールの力強さ、そして何より、目つき。黒田が身にまとう独特の雰囲気の前では身長、体重、球速、防御率、いかなる数字も基準とはならなかった。恋愛に例えれば、『一目惚れ』である。

 ジャケットに革靴というスタイルで、彼は連日のように黒田の所属する専修大のグラウンドに通い詰めた。選手と会話ができるわけではない。ただ、ランニング、投球、整理体操に至るまで、練習の全てを見つめる。そして、チームの監督に「ありがとうございました」とだけ挨拶して家路につく。

 心のなかでは、「この黒田という選手が欲しい」と強く思っていた。だから、グラウンドに他球団のスカウトがいないのを確認すると安堵した。むしろ『他のスカウトが来ないように』と心のなかで祈るくらいであった。日本プロ野球のドラフト制度下では、いくら精力的に活動しても、特定の選手を確実に獲得できる方法などない。しかし、この男は、来る日も来る日もグラウンドに通い続ける。

『気持ちは通じる─』。カープのスカウトになって40年あまり経つが、苑田聡彦の信念は変わらない。なぜなら、今から半世紀前、同じようなことを経験したからである。