お笑い芸人として活躍中のザ・ギース尾関高文氏の新連載がスタート。カープ愛が深く、カープの知識が豊富な尾関氏が、広島アスリートマガジンWEBで深掘るテーマは「カープ助っ人外国人」。これまでカープに在籍した歴代外国人を、時には厳しく、時には優しく、時にはユーモアを交えながら尾関氏ならではの視点で紹介していく。それではタイムマシンに乗った気分で、“海を越えてカープ にやってきた外国人選手”を振り返っていきましょう。

カープの助っ人の名産地・ドミニカからやってきた、ある男

 カープの助っ人外国人を語るうえで欠かせない「カープアカデミー」。一昨年、僕がドミニカのカープアカデミーに行った時には、唯一無二のその存在を、現地でひしひしと感じたものでした。ドミニカとの密接なつながり、そしてスカウト網。日本を見渡しても類を見ないその独自のシステムは、カープという球団、いや日本球界の宝と言っても過言ではありません。

 そんなカープアカデミーから来た選手にはさまざまなドラマが秘められています。瞬く間にカープを駆け抜けていったロビンソン・チェコを始め、メジャーで突然変異したアルフォンソ・ソリアーノ、名前だけが異様な存在感を発揮したマリオ・サンギルベルトなどなど。その中でも強烈に僕の心に残っているのが、ティモニエル(ティモ)・ペレスなのです。

来日ペレス

 ペレスが日本に来たのは三村監督時代の1995年。野村・緒方・前田・江藤・金本などが名を連ねる、“ビッグレッドマシン”とも呼ばれた夢の打線がチームを牽引していた時代。僕にいたっては、当時のカープ選手の背番号を並べて、銀行の暗証番号にしてしまうほどのインパクトがありました。そこに突如現れたペレス、ケサダ、ペルドモらのドミニカンチーム。特にペレスは、打つ、守る、走るの三拍子がそろった器用な選手で、これからの成長を感じさせてくれました。当時10代だったことを考えると、異国の地で1年目から30 試合以上出場し、打率2割後半を打っていたことは感動的ですらあります。しかしペレスのすごさはプレー以外のところにもありました。