今年カープが球団創立70周年を迎えたことを記念し、新井貴浩氏にカープファンだった幼少期も含め、カープにまつわる思い出を語ってもらう本連載。前編に続き、新井氏が忘れることのできない打席である、カープ復帰後初打席にまつわる思い出を語る。

2015年3月27日、マツダスタジアムでの開幕戦で7回に先発・前田健太の代打として打席に向かう新井氏。ライトフライに終わったものの、スタンドからは大歓声が送られた。

◆4年間がんばることができたのは、あの打席で感動をもらったから。

 迎えた2015年の開幕戦、相手はヤクルトスワローズでした。控えとしてスタートした僕の出番は7回、先発の前田健太(現ツインズ)に代わる代打出場。グラウンドに出てネクストバッターズサークルに向かうまでに、自分がイメージしていたことと全く違ったことが起こりました。

 マツダスタジアム内がザワつき始め、僕は唇も口の中もカラカラになリ、緊張というか、何というか、今まで味わったことのない気持ちになっていました。

 そして場内アナウンスで僕の名前がコールされた瞬間、カープファンのみなさんは大歓声で僕を迎えてくれました。バッターボックスに入った瞬間もよく覚えています。まず足が震えていましたし、想像もしていなかった大歓声にグッとこみ上げてくるものもありましたし、それを必死で堪えていました。そして昔と同じ応援歌での大声援……本当に感慨深いものがありました。ですが僕は『これが終わりじゃない、これからが始まりなんだ』と考えていました。あの打席、対戦したのは小川泰弘投手。結果はインコース高めを打ってライトフライでした。普通なら、絶対に空振りだったコースに反応できていたので、それだけアドレナリンが出ていたのかもしれません。

 そんな復帰後初打席でしたが、カープファンのみなさんのあの大声援というのは数ある打席の中でも忘れることができないですし、僕の中でインパクトが強い場面として心に刻まれています。

 カープ復帰となった2015年はそんな初打席に始まり、当時一塁を守っていた新外国人選手であるグスマンの調子が悪く、僕にチャンスが巡ってきて、出場機会を得ることになったのですが、たまたま運が良かったのだと思います。4月7日には4番スタメンを経験することになったんですが、また自分がカープの4番を打つことになるなんて、全く思っていませんでした。当時チームは若返りの最中でしたし、代打などで貢献できれば……と思っていた部分があっただけに、まさかという気持ちでした。

 結果的に僕はその後も試合に出続けることができて、復帰初年度に125試合に出場することができました(打率.275、117安打、7本塁打、57打点)。2014年オフの自分の状況を考えると、想像できないことがたくさん起こった2015年だったと思います。

 そしてこのシーズンをきっかけに僕には夢のような日々が続いていきました。翌2016年は2000安打を達成することができて、黒田博樹さんも同じ年に200勝を達成し、25年ぶりの優勝を果たすことができました。そして2017年、2018年もリーグ優勝を達成して3連覇。

 復帰後、4年間も頑張ることができたのも、振り返ってみれば復帰後初打席で自分のスイッチが完全に入ったことがきっかけです。あの打席では一度カープを出ていった自分に対して、温かい歓声でカープファンのみなさんに迎え入れてくれて、ファンの方々から感動をもらいました。

 僕はこの感動を勝つこと、自分が頑張って打つこと、優勝することで『カープファンのみなさんに喜んでもらいたい! 自分はそのためだけに頑張るんだ』と。そういうスイッチが入ったんです。だからこそ、僕は復帰してから4年間も現役を続けることができたんだと思っています。あの打席は、間違いなく、生涯忘れることはありません。

●2015年シーズンの新井貴浩氏は?  
2014年オフ、阪神を自由契約となった新井氏に真っ先に声を掛けたのは、古巣であるカープだった。悩んだ末、新井氏はカープ復帰を決断し、2014年11月14日に入団会見。背番号は28だった。2014年12月末には黒田博樹の復帰も決まり、2007年オフ、同時にカープを去った2人が同時に復帰となった。開幕こそベンチスタートも、4月7日に4番スタメンを果たして以降、勝負強い打撃で打線を牽引。7月にはファン投票でオールスターゲームに選出された。故障と戦いながら125試合に出場し、打率.275、117安打、7本塁打、57打点を記録し、復活を印象付けた1年となった。